宮森小事故、繰り返すな/沖教組教育講演会
豊濱さんが当時振り返る
沖縄県教職員組合宮古支部の第60次教育研究集会教育講演会が11日、宮古教育会館で行われた。石川・宮森630会会長の豊濱光輝さんが講師を務め、宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した1959年6月30日当時の事故を語り、遺族の深い悲しみを訴えた。
この日の講演は、「忘れたい、忘れたくない、忘れさせない~宮森小ジェット機墜落事故から沖縄の平和を考える~」と題して行われた。講師の豊濱さんは44年の「10・10空襲」や45年の地上戦を体験。55年に伊波小、宮森小の巡回教師となり、59年に米軍ジェット機の墜落事故に遭った。
豊濱さんは「あの悲惨な沖縄戦では多くの尊い命が失われた。その犠牲の上になお基地がある。そしてその基地から発生したのが宮森小への米軍ジェット機墜落事故だ」と指摘。現状に対しても「沖縄戦の反省がないまま今日に至っているのが現実」と憤った。
その上で宮森小での事故を生々しく語った。逃げまどう子どもたち、わが子を探し回る親、怒号と悲鳴が響きわたる校庭。一瞬のうちに日常を変えた当時の様子を赤裸々に語った。
豊濱さんは「墜落した米軍機は、後に整備不良だということが分かった。だからあれは事故ではない。事件なんだ。これでは遺族はたまらない。遺族は今も心に重たいものを持ち続けて生きている」と話し、児童12人と一般人6人の尊い命を奪った事故に対する正しい理解を訴えた。
聴衆は事故の実態を聞いて絶句。事故原因に対する怒りや亡くなった子どもたちへの鎮魂、平和を希求する自身の気持ちを力の限り言葉に込める豊濱さんの講演に聞き入った。