公文書としては初の発見/宮古旧軍文書に「慰安所」明記
林教授(関東学院大)軍法会議書類で明らかに
沖縄戦当時、宮古島に旧日本兵が通っていた「慰安所」があった事実を裏付ける公文書が初めて発見された。これまで、宮古島の慰安所の存在は戦争体験者や慰安婦の証言などで知られていたが、その存在が明記されている公文書が明らかになるのは初めて。関東学院大学経済学部の林博史教授が研究資料として厚生労働省に情報公開請求した「軍法会議報告」文書の中から見つけた。
発見された資料は厚労省が保管していた「台湾軍管区臨時軍法会議豊部隊法廷裁判宣告報告」で、沖縄戦当時、宮古島に駐留していた第28師団司令部あて提出されている。その内容は1945年11月20日付で、軍法会議判決を記したものとなっている。
同裁判宣告報告では当時、宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が、軍の食料などを横流しして住民に売却し、得た金を使って「慰安所」で遊興消費したとして「業務横領」の罪に問われ、窃盗罪として懲役1年の刑に処したことや、その判決理由が詳述されている。
被告人の同衛生上等兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に服務していた。45年8月中旬に城辺更竹にあった「獣医部」から馬肉約40㌔を預かって帰院する途中、増原付近の民家で2斤(約1・2㌔)を20円で売却し、慰安所で遊興したことなど、複数回にわたって犯行を繰り返しては慰安所で使ったたことなどの内容が記されている。
また、同衛生上等兵は10月2日に「金花糖」(砂糖菓子)60㌔を受け取り翌3日に、このうち2㌔を売却して慰安所で遊興したことも記されていることから、宮古島では終戦後の10月ごろまで慰安所が開設されていたことも新事実として明らになった。
林教授は「宮古の慰安所の存在は住民証言で存在していた事実は認められていたが、厚労省保管の公文書で、その存在が初めて明かされた」と説明した。
また、当時の宮古ではマラリヤや飢えの苦しみ中で、多くの人が犠牲となったことついて触れ、「この資料は軍部に十分な食料があった事実を裏付ける証拠にもなる」と述べた。
さらに、林教授によれば、各地にあった慰安所は8月15日の終戦と同時に閉鎖されているが、「宮古島では終戦後、しばらしても慰安所が開設され続けていたことには驚いた。これは初めて明かされた事実だ」と話した。