仲田さんを県功労者表彰
公衆衛生向上に貢献/80歳、今なお現役で活躍
戦後間もない1954(昭和29)年から公衆衛生看護婦(現在の保健師)として宮古地域の公衆衛生看護活動の基盤づくりを行い、人材育成に尽力するなど離島地域の健康福祉の向上に多大な貢献をしたとして、元宮古保健所看護課長で、現在も宮古地域産業保健センター保健師として活躍する仲田八重子さん(80)=平良字西里=に県功労者表彰が贈られることになった。受賞式は11月3日に那覇市内のホテルで行われ、仲井真弘多知事から表彰状が授与される。
県功労者表彰は1973年度に制度を創設し、沖縄県の各分野の発展に貢献し功績顕著な人を表彰するもの。今年の受賞者を含め443人が表彰を受けることになる。今回の受賞者は12人で、仲田さんは社会福祉部門での表彰となる。
受賞の知らせを受けた仲田さんは「特に目立ったことをしたわけでもないのに、大変栄誉な賞を頂けることになった。本当にありがたいことだ」と喜びを述べた。
仲田さんは1933(昭和8)年、平良字狩俣で生まれた。狩俣国民学校を卒業後、戦後直後の46年に宮古高等女子学校に入学。学制改革により宮古女子高等学校を卒業後、沖縄中央病院付属看護学校に入学し、54年に宮古保健所で、保健師としてのスタートを切った。まだ、保健所機能がまったく整っていない環境下での公衆衛生指導であった。
「当時は感染症をはじめ、結核が放置状態にあり、家々を1件1件訪問しながら患者の掘り起こし業務を行った。結核予防法制定に伴い、パストアイナーやストレプトマイシンなどの薬剤を配布しながら、生活衛生に関する指導を行った」と当時を回想した。
その後も児童生徒の回虫駆除対策、フィラリア対策、72年の本土復帰以降は乳幼児健診の普及定着に向けた活動など、その業績は枚挙にいとまがない。
現在でも毎日、市内の特定介護予防施設で看護師として勤めている。「目標を持つことが生きる喜びを感じる秘訣。元気な限り、この仕事を続けていく」と話した。
仲田 八重子(なかだ・やえこ) 1933年11月2日平良字狩俣生まれ。54年琉球政府立中央病院看護学校公衆衛生看護婦養成所修了後、同年宮古保健所で保健師に。城辺、下地、伊良部、平良で駐在保健師として勤務し、63~94年まで宮古保健所看護課長を務める。2006年11月瑞宝単光章授章(へき地保健衛生功労)。現在、宮古地域産業保健センター保健師。