【花は島いろ】宮國 稔基さん(32歳)
将来は宮古から甲子園に
【那覇支社】糸満中学校で体育を教えている宮國稔基さん(32)は平良西仲宗根出身。現在、同校で野球部のコーチも務めているほか、昨年11月に沖縄本島の島尻地区で開催された中学生駅伝競争大会では選手たちをバイクで先導するなど、多忙な日々を送っている。
宮國さんは、農家の長男として生まれた。東小、北中、宮古工業高校を卒業後、名護市にある名桜大学に進学し、そこで教員免許を取得した。
少年時代は、野球好きの父親の影響もあり、宮古島で春季キャンプを張っていたオリックスの練習を見に出かけていたといい、小4から野球を始めた。
その後は、投手としてプロ野球選手を目指し、明けても暮れても野球漬けの日々を送る。しかし、高校で厳しい実力の世界に直面し、ならば野球に携われる仕事は指導者だと目標を変更した。
大学で教員免許を取得したものの、体育教師の就職は競争倍率が約100倍と狭き門。そのため、「臨時職員として勤務をしながら、本務教諭になるための勉強を続けた」と話す。
仕事が忙しく勉強時間を確保するのが難しかった時期もあったというが、2016年に夫人の妊娠が分かると一念発起。臨時教員を休止して予備校に通って勉強に専念した。
しかし、その年の試験は次点で不採用。悔しさを胸に昨年4月からは糸満中学の臨時教員として勤務しながら猛勉強した。
その結果、昨年10月末、ついに270人中、見事1位で合格切符を手に入れた。勉強を始めてから9年目の春だった。「諦めず頑張れたのは、宮古にいる両親、おばあ、3人の妹、友人たち、応援してくれたみんなを喜ばせたかったから」と涼しい顔で話す。
毎年開催される沖縄県民野球大会は、宮古代表のキャッチャーとして12年連続で出場している。そのほかにも、機会を見つけては宮古に戻り、仲間と心を通わせて刺激を受けているという。「宮古で野球をやっている子どもたちは、能力も高く中学まで強いのに高校で少し委縮しちゃうんだよね」と残念がる。
「野球は楽しいもの、大きな声を出して基本をしっかりやれば強くなる。これからも先輩たちからたくさん学んで、何十年後には宮古の高校を甲子園に連れていける指導者になりたい」とキラキラと瞳を輝かせて目標を語ってくれた。