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社会・全般
野原 比呂之さん(56)(株)エコバンク代表 東京都在住
郷里をエコの島に
7年前、テレビの全国ニュースで宮古島の廃自動車が野積み放置された光景が映し出される。ショックで言葉を失う。資源リサイクル事業を手掛けている者として、今郷里のために役立てられることはないか、思案の日が続いた。2003年、31年ぶりに帰ったふる里で台風14号に遭遇。「荒々しい歓迎だった」と苦笑。
上野豊原出身。幼いころは茅葺(かやぶ)き家に住んだこともあって、台風が来ると毎年のように屋根が吹き飛ばされた。家族は、野原さんが高校生のころ那覇に引っ越す。「今では、住んでいた場所も大きく変わりその所在さえ無いが、ぼくにとってはかけがえのないふる里」。何とか良くなってほしいと4年前、平良で「エコバンク」を始める。現在、上野千代田に移転して会員も1422軒に増えた。回収業務など6人の従業員が働く。
久しぶりに見るふる里は、大きく変わっていた。幼いころは、家畜を養い、生活のために野菜、芋、サトウキビを作りすべては人力だった。それでも対価はわずかばかりの収入。そうした両親の苦労を見て育った。物を大事にする節約の心を教わったことが今の仕事につながる。文明は快適さと便利さをもたらしたが、物や人への情を希薄にした、と嘆く。
「宮古のエコに対する意識はまだまだ。何とか改革を」というのが、全国でも先駆けて取り組む「エコバンク」発想だった。「会員様より毎月回収した資源物をすべて資源化しており、環境家計簿に基づく換算で毎月8トンのCO2削減を達成している。今後、公的機関の認証を目指し、全国でエコポイントが使用できるよう取り組みたい」
「エコにはエコロジー(生態学)とエコノミー(経済)がある。これからの経済は、両方のエコを考えないと成り立たない」。2年前、糸満市でもリサイクル工場(中間処理工場)を建設、あらゆる物を資源化する生産活動を始めた。「エコバンクは、ごみは資源というとらえ方。会員様から回収したごみを資源化していくことで快適な島の環境に寄与していきたい」と信念は固い。
野原 比呂之(のはら ひろし)1953年3月23日生まれ。東京医学検査協会臨床検査室・東芝総合研究所原子力部核燃料課勤務。「日本人材能力開発株式会社」・「エヌティートランスポート」代表取締役を経て、現在「(株)NSK」と「(株)エコバンク」の代表取締役。