Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/cnet01/www/miyakomainichi/wp-content/themes/miyako-mainichi2021/single.php on line 90
社会・全般
新井 功さん(51歳)庭師 平良字下里(鏡原)
次世代に残せる庭を
物心付いたころから父親の仕事を手伝わされていた。京都の庭師3代目の家に生まれ、幼いころから箒(ほうき)で遊んでいた。それでも実際に、はさみを持たせてくれたのは20歳になってから。「家での練習は良いが、よそ様の家の庭にはさみを入れるのは許されなかった」と、その厳しい世界を垣間見せる。特に京都は、庭師にとっては聖地といわれ、庭師を目指す人たちが一度は修業を積む場所だ。
6人兄弟の末っ子は、特に家業を継ぐこともなく、他の世界を見たくて、高校を中退。好きな料理学校や理・美容師学校に通う。ところが屋内での仕事は窮屈で、34歳からまた全国行脚を始める。青森から沖縄まで庭師の仕事をしながらだんだんと南下してきて宮古に止まり、9年になる。「2週間の予定が、そのまま住みついちゃった。気候はいいし、何より島の人たちと気質が合っていた」と顔を緩める。
町屋で定期的に庭を見るのは20軒、年間契約で見るのは10軒程度。それでは生活できないという。「その軒数は趣味の域でしかない。でも、地元の人たちと張り合ってまで仕事を取ろうとは思わない」と話し、生活費は、店舗のリフォーム、漁などで補う。それでも宮古が楽しいのは音楽の仲間がいるから。小学3年生で鼓笛隊に入り、太鼓を覚えたことがきっかけで、世界の打楽器に興味を抱く。ラテン系の音楽が好きで、今、夢中になっているのはキューバの楽器でコンガ。夜はスタジオなどで演奏することもある。
宮古と京都の植物はまったく違う。最初のころは地元の人に名前を教えてもらったりした。年間を通した庭師の仕事は、春先の芽摘み、剪定、夏前の消毒、刈り込み、正月前の芽摘み、1、2月の寒起こしに肥料やりだと言う。基本は、主木に合わせるように他の木を剪定(せんてい)していく。「ある意味で、庭師はアーティスト。料理人がお皿に美しく盛りつけをするように庭をレイアウトしていく。それが醍醐味」
地下足袋に、はさみを持ち、木に登った姿は紛れもなく職人。その技は、少し手を入れるだけで、木に生気が満ちてくる。「宮古で暮らしたという証に、いつか、次の世代に残せるような庭を造りたい」と、ひそかに夢を温めている。
新井 功(あらい いさお)1958年6月11日生まれ。京都理容・美容専門学校、辻料理専門学校卒。2002年から宮古に住む。妻・敦子さんと二人暮らし。(佐渡山政子)