当時の同窓生の子孫探す/県女子師範学校1期生
親戚が肉筆原稿公開/大浦出身の故砂川マヂル
明治時代の沖縄県女子師範学校1期生として入学した故砂川マヂル(1892-1913年)=平良字大浦出身=の肉筆原稿の随想「我が家」を、砂川幸吉さん(55)=平良字東仲宗根=が21日までに、本社に初めて公開した。随筆からは家族への温かい愛情が読み取れ、立身出世の夢に向かって決意が述べられている。
マヂルは1892(明治25)年3月15日生まれ。18歳の時、下地カマドさん、下地カナさんと一緒に公費生として、1910(明治43)年に同学校本科女子部に進学した。私費生には奥平カマドさんがいた。マヂル以外の3人の年齢はつまびらかでない。同い年ではなかったかと推定されている。
1908(明治41)年、特別町村制が施行され、平良間切などは村、村は字に改められた。2年後、マヂルらは優秀な人材として選抜され、公費生として入学した。
随筆は、入学した10年11月24日に脱稿。旧漢字や歴史的な仮名遣いが美しい筆字で書かれ、国語力の高さをうかがわせている。
「私は田舎が大さう好きでごいます」と始まり、大浦集落や家族を紀行文的につづっていく。遠く離れた沖縄本島から、家族の苦労を気遣ったり、楽しかった一家団らんなどを回想するる。さらに学業に研究錬磨して立身して、立派な国家有為の人物になりたいと大きな夢を描く。
体調を崩していたマヂルは、13(大正2)年7月10日、息を引き取った。享年21歳。
一緒に入学した3人は、どうなっただろうか。「宮古教育誌」に同姓同名の2人が記されている。13(大正2)年の久松小学校代用教員の奥平カマドさん、14(同3年)の平一小学校訓導の下地カマドさん。
幸吉さんは「マヂルさんの情報を知りたい。当時一緒に入学していた奥平カマドさん、下地カマドさんと同一人物であれば、子孫の関係者が連絡してほしい」と呼び掛けている。
連絡先は、砂川幸吉さん(携帯090・5389・4727)へ。