髙橋洋二氏新春インタビュー/南西楽園リゾート 代表取締役社長
進化するリゾート開発
宮古島市上野の南岸でリゾート開発を進める南西楽園リゾートの髙橋洋二社長。敷地面積100万坪にわたる広大な土地にリゾートホテルや長期滞在型のコンドミニアム、温泉、ゴルフ場を運営する。構想から25年。反対運動も起こるなど決して平坦な道のりではなかったが、今夏で「第1ステージ」という事業を締めくくる。「南国の楽園」をテーマに進化するリゾート開発を目指す髙橋氏に、構想までの経緯や宮古へ寄せる思い、観光振興への提言などを聞いた。
宮古島に初めて来たのは今から24年前、43歳のころだ。仕事の忙しさがピーク時で、真っ青な海でヤシの木がたくさん茂った場所で、のんびりとした時間を過ごすのも良いのでないかと。沖縄本島や久米島、そして宮古島にその場所を探していた。それから今年8月でちょうど25年になる。
上野村(当時)に来てみるとここはすごいと思った。原生林だったが、南に向かって良いリーフが広がっている。しかし、開発しようという考えはなかった。
当時、シギラのビーチは砂もないようながたがたの状況だったが、その中にバンガローがあり、周囲には誰もいない。夜になると電気一つもないが、住むことになった。
1年間住むうちに、周囲の人たちが「東急リゾートみたいにゴルフ場やリゾートホテルをつくってくれないか」と持ちかけてきた。そこまでの時間と資金に余裕がなく、プライベートで楽しめる空間があればそれで良いとの考えだったので断っていた。
しかし、周囲の熱心さに打たれて、だんだんとそういう気になってきた。
しばらくすると「髙橋は土地ころがしをやっている」という噂があり、これは何か一つつくらないと、ここに情熱を持って取り組むということを証明できないと思った。
それが、上野でのリゾート開発のきっかけということになる。
用地買収と許認可、ブリーズベイマリーナを完成させるために7年の歳月を要した。
ホテルオープンから今夏で18年、開発準備期間の7年を足すと計25年という歳月がたっている。私は、この期間を第1ステージと考えている。それが今年の夏で完了する。
その後は第2~第5ステージがある。今後のステージは3年ずつ。第1ステージより短くしたのは、そうしないと時代の変化についていけないからだ。
そうなると第2~第5ステージは計12年間かかる。そうすると最初のホテルオープン時までの18年間と合わせると30年という年月だ。最後のステージになると私は80歳になるので、生きていないかもしれないけど…。
広大な土地に、草花を一面真っ赤に咲かせた。20~25万本だが、今年は100万本に増やす計画だ。これは、自分の作品として仕上げていこうと思っている。そうなると商売ではなくこだわりが優先する。そんなこだわりが非日常性を創出し、お客さんに感動や驚きを与えるものだと考えている。
こだわりは何も宮古島の開発だけではない。私がやる仕事は、全部日本一にしてやろうとの思いで手掛けている。
リゾートホテルを作品と見立てた場合、つくった時点でそれはピークになる。あとはどんどん傷んでいくだけだ。
宮古島では、30年という長い歴史をかけて進化していくリゾート、世界に通用するリゾートというものをつくり上げていこうと思っている。それが実現できる前に死ぬかもしれないが、こだわりだけは持ち続けていきたい。
26歳でファッション系の会社で独立した。その後、飲食、金融、リゾートビジネス、物流全般と、つくった会社は約120社ある。
そういう中で、美しい花々に囲まれた非日常性の演出空間、いわば天国のような南西楽園リゾートは特別なものがある。
森をつくり、花に囲まれながら自然との共生をテーマにしたこだわりのゴルフ場を千葉県に建設中だ。ゴルフ場を中心にハーブ園、イングリッシュガーデン、ペットとともに宿泊できるホテル、温泉開発をしている。
週2回は千葉県に行って里づくり、1月に1回は宮古島で花や鳥、チョウが飛び交う空間をつくり上げていきたい。
私は浅草・向島で生まれ育った。それから千葉県の船橋に移り小学校に入学した。周囲は自然がいっぱい。今はもう無くなってしまったが、そういった子ども時代の郷愁が、無意識のうちに仕事にも反映しているのかもしれない。
ハワイは島民全員がウエルカムの気持ちを持って観光客に接している。どちらかというと沖縄県は本土に対する依存心が強く、自分たちで稼ごうとする意欲が薄いようだ。みんなで自主独立の気概を持って沖縄を良くしていかなければいけない。
では、どういう形で自立していくかというと観光しかない。きれいな島を島民全員で整備していこう、お客さんが来たときは笑顔で接していこう、海はきれいにしようというウエルカムな体制をみんなでつくっていくことが大切なのではないか。
オーストラリア東海岸に広がるグレート・バリア・リーフでは、魚を釣るとすぐ逮捕だ。サンゴを踏みつけても同じ。自然をみんなで保護していくという認識が強い。
宮古島の魅力はサンゴ礁。これを大事にしていかなければ観光は成り立たない。
沖縄の人たちは県内旅行が少な過ぎる。県内に興味がないのか。例えば、沖縄本島の人たちも宮古島に観光に来ない。沖縄県の人たちが県内を愛し、興味を持たないといけないはずだが。
極端な部分が、平良の人たちが一回も上野に来たことがないということ。遠過ぎると。それは信じられない。
さらに上野だけでみると、南西楽園リゾートは敷居が高過ぎて入りづらいという問題もあるかもしれないが…。
沖縄本島の人たちもぜひ宮古島を見てほしい。みんなでウエルカムの気持ちを持ち、営業マンとなって宮古島は素晴らしいよとPRしよう。
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のありようを指すというサミュエル・ウルマンの「青春」の詩が好きだ。挑戦し夢や希望を持つことが青春であると。
そういう意味では、私は死ぬまで挑戦していきたい。何でも挑戦、挑戦。じじいになっても青春。いろいろな物に興味を持ち、良い物に出合ったら振り向きたい衝動を感じる。お客さんに何だろうあの店は?おしゃれだなと振り向かせるのが商売だ。
あらゆる物で良い物があったらもっと良い物をつくろう、うまい料理があればもっとうまい料理をつくろう。そういったことに興味を持ち、それを持続していくことが成功につながる一つの道だと考えている。
髙橋 洋二(たかはし・ようじ) 1943(昭和18)年3月6日生まれ。67歳。東京都生まれ。1973年5月、株式会社丸和トレイディングカンパニー(現株式株式会社ユニマットホールディング)設立、代表取締役社長就任(現任)。90年4月、株式会社セントラルリゾート(株式会社ユニマットリゾートに商号変更)代表取締役社長就任。91年9月、株式会社ユニマットオフィスコ(現株式会社ユニマットライフ)設立、取締役会長就任(現任)。2009年10月、株式会社南西楽園リゾート設立、代表取締役社長就任(現任)。00年に上野村(当時)に住民登録。01年に同村から雇用拡大、観光振興などに貢献したとして名誉村民章、10年には宮古島市から市制発展に貢献したとして感謝状がそれぞれ贈呈された。