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社会・全般
「明けの富士」/高橋 尚子
ペン遊ペン楽2011.1.13
「明けの富士」/高橋 尚子
幹線道路を脇に入り小さな路地を坂の上に向かって上っていくと、民家の家々の屋根を見降ろすように、丘の頂いっぱいに白い建物が浮かび上がる。そこが私の働く職場であり、多くのお年寄りとの時間を過ごす場所でもある。
正月の賑やかさに湧く巷の雰囲気を離れ、自宅で新年を迎えることのできない大勢のお年寄りの方と、例年のごとく年末年始を一緒に過ごした。時間の流れる線上で昨日から今日へと日付が交代し、2011年の新しい年が明けた。お正月。そこから私の一年がスタートする特別な始まりの日。新しい気持ちになり、身の引き締まる思いになる。
施設には人生の幕引き間近の時期を、家族と居るよりもはるかに多くの時間を施設の職員と過ごす老人たちがいる。人間という生物の不思議な行動や感情、本能とよべるものを目の当たりにすることが多く、施設に異動になって数年経つ今でも私は驚きと感動の連続である。私にとって重度の認知症の方は、見栄もてらいもへつらいも無く、在りのままに唯一無二の己を生きる人間の本来の姿を教えてくれる存在である。いつも私の心の大半を占めている人々でもある。重度の認知症のお年寄りとの関わりは、まるで私という人間のあらゆる面を試されているようでもある。落ち着くも、落ち着かなくなるも関わる人の関わり方次第なのだ。
1月2日、私は夜勤だった。その日の夜勤は穏やかな天気のためか、または、ささやかではあるが正月の雰囲気を味わってもらおうという職員の気持ちが届いたのか静かな夜だった。深夜の巡視の後、カーテンをそっと開けて空を見上げると、澄んだ青い夜空にオリオン座が一段と輝いていた。
東の空に明けの明星が煌々と瞬き、空の高い位置へと動いていく。空の色が変わり始めると、起き出したお年寄りの声があちこちで聞こえ、にわかに騒々しくなってくる。とりわけ104歳の小柄なお婆さんの声が廊下に響く。老いて縮んだ身体のどこから湧いてくるのかと不思議に思うほど、お婆さんの声は快活だ。気に入らないことがあると、身体の大きな男性の利用者であろうが、職員であろうが叱り飛ばす。104歳にしてなお、命の躍動とあふれるエネルギーを感じさせてくれる。尊敬と憧れの気持ちを込めてお婆さんの手を擦ると、私は元気のお裾分けをしてもらっている気分になる。
私は夜勤の朝には老人たちと朝陽を拝む。その日も直視できないほど眩しく矢筋を放つ朝陽を一緒に拝んだ。高台にある施設からは、連なる山々の上に真っ白な姿をのぞかせる富士山が見える。年始に見る富士山はそれだけで縁起の良いものに思えるが、朝陽に白い山肌が薄桃色に染まる姿は神々しかった。車いすのお婆さんを富士山が見える窓に寄せた。指差した先を見て、「まぁ~!富士山!」と声を発したお婆さんは、つと両手を合わせ、目を閉じて「しあわせ、しあわせ」と呪文のように呟いたあと、静かにただ祈っていた。多くを望まず、欲することもなく、いつでも目の前にあることを幸せと受け止めるその姿は、神聖で崇高にさえ感じられる。
明けの富士に104歳のお婆さんはなにを祈り願ったのだろうか?! 今年も皆が「しあわせ」と思えることがたくさんありますように!と朝陽に染まる富士に私も祈った。
(宮古ペンクラブ会員・看護師)