11/24
2024
Sun
旧暦:10月24日 先負 壬 

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/cnet01/www/miyakomainichi/wp-content/themes/miyako-mainichi2021/single.php on line 90
社会・全般
2011年2月8日(火)23:00

「高沢歌碑」(行雲流水)

 去る大戦中、宮古には3万人の将兵が配備された。将兵たちは激しい空襲や艦砲射撃にさらされるだけでなく、食糧難と疾病に苦しんだ。肉親の待つ故郷に復員できずに無念の死を遂げた兵士は2500人余に及ぶ


▼補充兵として召集され、朝鮮と「北満」を経て衛生兵として宮古島に移駐し、遺体を焼くことを本務とした高澤義人氏は、戦後、不条理な戦争の実相を告発、平和の尊さを行動と短歌で訴え続けた

▼「餓死兵を夜毎井桁に重ね焼くわれに一粒の涙なかりき」。極限状況で無感覚になるのは精神の防御反応であろう。「犬、猫、みな食いつくし熱帯魚に極限の命つなぎたる島」。「宮古島のサンゴ屑浜ザクザクと踏めば亡き戦友呻くがごとく」

▼1998年、宮古歴史教育者協議会に招かれ、高澤さんは50余年ぶりに夫人同伴で来島した。「餓死兵焼きすてし具体語れと招かれて宮古歴教協に馳す夏の生き残り兵」

▼2005年には、宮古で戦争のあったことを記録にとどめ、反戦平和を誓い行動する記念碑にしようと、高澤義人「歌碑」が、100余名のカンパを得て、上野の野原地区に建立された。歌碑には、過酷な体験を包括的に表現している次の短歌が刻銘された。「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古よ八月は地獄」(「朝日歌壇」第1席、近藤芳美選)

▼高澤さんが1月28日に亡くなられた。氏を偲ぶ集いが歌碑の前で催され、花を手向け、黙とうをささげ、語り合いがなされた。一人が詠んだ「いしぶみの語りつぐらむ義人の碑」。


記事の全文をお読みになりたい方は、宮古毎日新聞電子版のご購読をお勧めします。
まずは2週間、無料でお試しください。

無料試読お申込み

すでに購読中の方はログイン

カテゴリー一覧

観光関係

2024年11月22日(金)9:00
9:00

宿泊税、県民にも課税へ

県検討委、税率2%で上限設定   【那覇支社】宿泊税の導入に向けた第3回観光目的税の導入施行に関する検討委員会が20日、県庁で開催され、税率2%で上限を2000円とし、県民にも課税する方針を確認した。離島住民が観光目的でなく宿泊するケースについては、…

2024年11月21日(木)9:00
9:00

宮古島北部の魅力PRへ

ローカル体験提供プログラム きょうからサービス開始/沖縄トヨタなど   沖縄トヨタ自動車(本社浦添市、野原朝昌代表)はこのほど、観光庁の「地域観光新発見事業」に採択されたことを受け、トヨタ・コニック・プロ(本社東京、山下義行社長)と宮古島観光協会(吉…

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!