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社会・全般
狩俣 恵吉さん(56歳)/ミュージシャン
ふるさとへの思い歌に
仕事で長年中国で暮らしてきた狩俣さんが、退職を機に宮古に帰り音楽活動を始めた。昨年リリースしたCDのタイトルは「ずぅら宮古んかい」。ふるさとへの思いがたっぷり詰まっている。『私の故郷宮古島』は、♪日本地図を広げて宮古島を探してみた。黒潮流れる太平洋、大陸へ続く東シナ海、沖縄本島と石垣島の真ん中にぽかりと浮かぶ大平山…私の生まれた宮古島。中国で故郷を思い作った歌だ。
高校卒業後、神奈川県の電気工場に就職。高度成長期の真っただ中、電子部品の製造で中国へ進出した会社の工場長として派遣され、300人の現地従業員の管理を任される。「当時の中国は、日本の40年前の生活水準だった。車はなく、ほとんどが徒歩、タクシーさえも見当たらなかった。生活習慣もまるで違い、戸惑うことが多かった」と話す。そんな江蘇省常熟市に足掛け15年も生活、故郷を思い浮かべながら歌を作るのが何より心の支えとなった。
定年を待たずに退社を決めたのは、宮古で暮らす母親が病で倒れたから。長年離れていた故郷に帰り、母の看病をした。「実は『ずぅら宮古んかい』は、ふるさとを離れ、そのうち帰ろうと先延ばししているうちに、親も年を取り自分も年取ってしまう。時機を失して後悔しないようにという意味の歌だ」と話し、教訓歌のようでもある。
曲作りの楽器は、ギターが主だが、中国で出合った二胡も欠かせない。日本で胡弓と呼ばれる二胡は、幻想的な音色を奏でる。三線の原型と思われる竿の長い楽器なども、中国で知った。音楽に関心を持ったのは小学生のころ、ラジオから流れる音楽が気になっていた。中学生のころギターを手に入れ、高校では自分で曲を作るようになっていた。
2月、市内のライブハウスで、友人の佐渡山豊さんを招きCD発売記念ライブが行われた。音楽活動のデビューである。友人や知人らが大勢駆けつけ励ました。オリジナル曲に中国歌も数曲盛り込み、艶のある声で会場を魅了した。「宮古はもちろん、十数年暮らした中国も私にとってはふるさと。これからは、音楽を通し、二つのふるさとのかけ橋になればと思う」と音楽活動のスタートを切った。
狩俣 恵吉(かりまた・けいきち)1955年2月5日生まれ。宮古工業高校を卒業後、神奈川県の「精電舎」に入社、のちに「京浜光膜」に入社して、94年から中国へ。2007年に退社。現在、神奈川県と宮古を往復する生活。