生活の先行き見えず募る不安/大震災から1カ月
宮古島へ避難した人たち
東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。死者・行方不明者は2万7475人に上り、今なお15万人近くが避難生活を強いられている。地震や津波、原発事故の被災地から着の身着のままの状態で宮古島に避難して来た人たちもいる。現在の心境などを聞いた。
夫と2人で福島県双葉町から宮古島に避難してきた川口美江さん(54)は「まだ多くの人たちが避難所生活をしている。私たちは恵まれていると思う」と話す。
自宅は、福島原発からわずか4㌔ほどの距離。事故後、何も持ち出せず2人の娘が住む横浜市と三重県にそれぞれ身を寄せた。
いろいろ迷ったが故郷の宮古島にいる親戚たちの「『とにかく早く戻って来い』という言葉に甘えた」という。
「主人のことを考えると複雑な気持ち。とは言っても、住んでいた所での生活は見通しが立たないし…。宮古島でしばらく過ごしてから先の事は考えたい」と語った。
今一番思うのは「一時帰宅し、家族のアルバムを持ち帰りたい」
同じく福島県から避難してきた50代の男性は「今の時期、向こうは寒いが宮古島は暖かい。被災地と違って、周囲が落ち着いていることで穏やかな気持ちになれる」
男性は3月下旬、家族とともに宮古島に来た。「被害が余りにも大きく、しばらく様子を見てから先のことは考えたい」
宮古島での生活について「不便は感じていない。周囲の人たちはとても親切。小さな子どもに道を訪ねても正確に教えてくれる」。しかし「精神的な不安を克服するのが大変。先の見通しが立たないのも不安だ。家探しなどは皆さんにお世話になるが、これからは自分でできることは自分でし、生活を立て直していきたい」と表情を引き締めた。
「宮古島に来てから、しばらくは体が揺れて『地震?』と周りの人に確認していた。『地震酔い』がなくなったのは2週間ほど前」と話すのは、宮城県山元町から家族6人で避難してきた大石久美子さん(35)。大震災から1カ月を迎えた11日は、地震が起きた午後2時46分が気になって時計ばかり見ていた。「1カ月前のこの時間は自分はこんなことをしていた。その時の恐怖や寂しさ、寒さははっきりとよみがえってくる」
現在は宮古島で仕事を見つけ、わずかだが明るい兆しも見えてきた。「とにかく、子どもたちが楽しく穏やかに生活できるようにしたい」