戦時中の過酷さ体感/ハンセン病市民学会フィールドワーク
避難壕やトンネルを見学
2011年ハンセン病市民学会第7回交流集会in名護・宮古島の宮古島交流集会の一環として20日、宮古南静園付近の海岸などで、戦時中に入所者らが避難生活をした自然壕などを見学するフィールドワークが行われた。参加者たちは実際に壕に入ることで当時の状況の過酷さを目の当たりにした。
海岸壕コースや園内コースなど、数グループに分かれ実施されたフィールドワーク。海岸壕コースでは、同園ボランティアガイドの案内で戦時下の避難場所だった二つのトンネルと、小屋を建てて多くの入所者が暮らしていた雑木林、「ぬすとうの壕」と呼ばれるロープを伝って登らなければ入れない壕などを見学した。
交流集会で講話した上里栄さんもボランティアガイドとして参加者に当時の様子を説明。小屋を建てて暮らしていた雑木林では「火をたくと煙で居場所が分かってしまうので煮炊きは別の場所でしていた。普段は小屋で過ごし、飛行機の音が聞こえるとみんなでトンネルに避難した」と語った。
「ぬすとうの壕」は、もともとは近隣集落でコレラに感染し亡くなった人を風葬にしていた場所で、上里さんらが避難生活のため入ったときには人骨があったという。上里さんは「人骨を横に寄せ、石と草を敷いて寝床にしていた。毎日、水をくんで登るのが大変だった」と説明した。
北海道から参加した長坂貴之さん(38)は実際に壕を見て「こんな劣悪な環境で戦時下を耐えなければいけなかったとは想像を絶する。あまり知られていないことなので、こういう問題があったことを広めていかなければいけないと思う」、東京から参加の宮崎信恵さん(68)は「壕で生き延びた人のことを思うと言葉にならない。追い込まれても生き抜いた療養所の人のすごさを感じた」と感想を語った。