昭和天皇が詠んだ和歌刻む
宮古顕彰会が御製碑を除幕
昭和天皇御製碑宮古顕彰会(垣花恵蔵会長)は7日、宮古神社第一鳥居そばの敷地で御製碑除幕式を行った。青空の下、顕彰会の真栄城徳佳名誉会長、垣花会長、昭和天皇記念館の長門保明館長ら7人が幕を引くと、刻字した和歌「わが船にとびあがりこし飛魚をさきはひとしき海を航きつつ」が鮮明に浮かび上がった。参加者らから、大きな拍手がわき起こった。
天皇陛下が詠んだ和歌を「御製」という。「さきはひ」は幸いの意味。
昭和天皇は、皇太子時代に初の外遊としてヨーロッパを訪問した1921(大正10)年3月6日、「香取」に乗艦し来県した。初の沖縄行啓を終え訪欧に向け出航した。
同3月7日午前5時ごろ、「香取」(艦長・漢那憲和大佐=沖縄出身)と供奉鑑「鹿島」が宮古列島沖を航行中、両艦の甲板上に飛び魚が3匹ずつ躍り込んできた。
それから46年後の67(昭和42)年、宮中新年歌会始で、昭和天皇は皇太子時代の飛び魚を回想し和歌を詠んだ。
1921年から今年は90周年の節目を迎え、ゆかりの宮古島で御製碑が全国で202基目として建立された。日本最南端の御製碑。
御製碑は御影石で建立され、台座は宮古島産のトゥラパーチン(大理石)。高さ240㌢、横140㌢、奥行き110㌢。謹書は那覇市の皇室崇敬会の儀武晋一理事長。
式で、真栄城名誉会長は、御製碑の和歌を復唱した上で「昭和天皇の御聖徳を広く後世に伝え継ぎ、宮古・沖縄はもとよりわが国の安寧と世界の平和を願うものである」とあいさつ。長門館長は「昭和天皇のモニュメントは永久に消えることがない」などと祝辞を述べた。次いで仲宗根玄忠さんが2分にわたって御製奉唱した。
直会で、垣花会長は「私たちは瑞兆に満ちたこの慶事を後世に伝えるため建立した」と述べ、参加者らに感謝の意を表した。