集落跡地を初確認/ミヌズマ遺跡発掘調査
建物跡2基人骨2体も/伝承、言い伝えを裏付け
昨年11月からほ場整備に伴う記録調査として、平良字松原で行われている「ミヌズマ遺跡」の発掘調査で建物跡2基、人骨2体が確認されたほか、貝塚なども確認され14世紀代に大規模な集落がこの地にあったことが初めて確認された。今回の確認は、これまでこの地に集落があったとする言い伝えや伝承を裏付けるものとなった。
市教育委員会生涯学習振興課文化財係の久貝弥嗣さんによると、同地区には宮古史伝や言い伝えで集落が存在していたとの記述があったが、今回調査で実際に確認されてそれが裏付けられたとしている。
14世紀の後半、宮古には現在の平良の東を根拠地にしていた与那覇原軍が進軍する際に、城や各集落を攻撃し島民を惨殺するなどして一時、宮古のほぼ全域を支配下に治めていた。
今回発見された集落も、与那覇原の攻撃を受けて全滅したと言い伝えられてきた。久貝さんは「実際に攻撃を受けて全滅したのかは分からないが、15世紀以後のものが発見されていない」と説明した。
そのほか、集落跡地には、建物が建てられていたと思われる痕跡も残っている。六つの穴が規則正しく掘られ、そこには建物の掘っ立て柱が埋められていたと推測され、穴の底には石が敷き詰められていた。
さらに、発見された人骨は埋葬された形跡があり、久貝さんは「居住空間の近くにこうして埋葬していた当時の様子を再確認でき、今回の集落発見は当時の生活を知る上で重要な成果となった」と説明した。
そのほか、集落跡には中国の陶器なども発見されている。
同地区の調査は、昨年11月からスタートし3月13日まで1万2000平方㍍の調査が行われる。また、次年度は周辺の2万5000平方㍍の調査を予定している。
久貝さんは「今後の調査で、建物跡などが確認されればこの集落における当時の人口などもある程度は確認できると思う」と述べた。