組踊りなど熱演/多良間島の八月踊り
仲筋で伝統の舞/きょうは塩川で「正日」
【多良間】多良間島の八月踊りが27日、仲筋地区で開幕した。初日は仲筋字会が土原(ンタバル)御願所で「正日」を行い、琉装など華やかな衣装をまとって民俗踊りや組踊りなどを披露した。舞台周辺を埋め尽くした観客は伝統芸能の舞を堪能。演者の一挙手一投足にくぎ付けだった。祭りは29日までの3日間。28日は塩川で「正日」がある。
八月踊りは国指定の重要無形民俗文化財。旧暦8月8~10日に行われる多良間島最大の伝統行事で、期間中は島の内外から訪れる多くの観客でにぎわう。
初日は仲筋字会が正日を行った。塩川の住民ほか島外から訪れた多くの人々に民俗踊り、古典踊り、組踊りを次々と披露した。
幕開けの「総引き」では踊り手全員が顔見せのため行列をつくった。華やかに着飾った演者に観客は大きな拍手を送った。
この後、女性が多良間世の歌に合わせて杵を突きながら軽快に踊った。男性は勇壮な棒踊りを披露した。
「福禄寿座」による口上の後、端踊り、二才踊り、狂言と続いた。端踊りでは中学3年生の男女が舞台に立ち、多良間島で脈々と受け継がれてきた伝統の芸能を堂々と踊り、観客から大きな拍手を浴びた。
午前中最後の演目は「組踊り」。忠臣仲宗根豊見親組が披露された。仲宗根豊見親を大将とする宮古軍が与那国の首長「鬼虎」を征討する伝統の組踊りを2時間にわたって演じた。
観客は圧巻の組踊りにくぎ付け。14幕にわたる壮大な物語を堪能し、指笛や歓声、拍手を送って演者をたたえた。鬼虎を討ち、凱旋するシーンはこの日一番の盛り上がりを見せた。
最後まで眼光鋭く仲宗根豊見親を演じた譜久村雅人さんは「イメージ通りに演じ切れた」と安堵した表情を見せた。「全員が集まる練習がなかなかできなくて不安な部分もあったが、みんなの団結力が本当に素晴らしかったと思う。小さいころから慣れ親しんできた八月踊りの魅力があるからこそきつくても乗り越えられたと思う」と話した。
中学生になってからは端踊りを任されてきた波平芽萌瑶(ももよ)さんは「最後の八月踊りだったけど楽しく踊ることができた。小学生は狂言、中学生では端踊りをすることができて良い思い出になった」と充実した表情で話した。
八月踊り 「パチュガツウガン」と称す八月踊りの起源は定かではない。1637年から宮古、八重山で課されるようになった人頭税を納め終わった「皆納祝い」並びに豊年祈願として踊るようになったという言い伝えがある。当初は島で創作した民俗踊りのみが演じられていたが、明治の初期から中期にかけて首里や沖縄本島から古典踊りや組踊りが伝播されたとされている。76年5月、「多良間島の豊年祭」という名称で国の重要無形民俗文化財に指定されている。