行雲流水
2017年6月27日(火)9:01
【行雲流水】(ワタブー・ショー)
終戦直後、石川市(現在のうるま市)に難民収容所があった。肉親を失い失意の人々も多く、何も物のない生活のなかでも人々はカンカラサンシンを作って弾き、敗戦の心境を歌に託して歌い、過酷な境遇に耐えた。サンシンは、空き缶と棒切れで作り、落下傘のひもを弦にした
▼その頃、照屋林助(通称てるりん)は小那覇舞天と組んで、「生き残ったことをお祝いしよう」と、収容所や集落で歌い語り、その芸で人々を元気づけた
▼その後、57年には「ワタブーショー」を旗上げした。ショーは首里劇場でも催され、学生間でも評判になった。歌や漫談が面白いだけでなく、そのメッセージ性が共感を呼んだからである
▼てるりんは語っている。「自分の話はつくりもので嘘だが、世の中には、『本当だ、本当だ』と嘘をつく人たちがいる」。黒を白と強弁する政治家たちをみていると、世の中はそう進歩していないように思える
▼「これから世の中は変わっていくよ。あなたもわたしも、冷たい人になっていくのさ。ああ大変だ、いち大事だ」。「新しい高等弁務官はムッツリしている。カマジサー(無愛想な人)、カマジサー」と、権力者を笑い飛ばしている。「ドルは値打ちが下がった。日本復帰はどるどるどん」。復帰時、1ドルの交換レートは360円から305円になり、県民の富は目減りしたのだった
▼沖縄県人は、シベリア抑留中もカンカラサンシンをつくって歌い、引き揚げを待ったという。どんな時代でも、固有の文化でアイデンティティーを守ってきたことは沖縄の誇りである。