シャコ貝でなくサンゴ/保良マイバー浜の化石
研究者が鑑定結果を発表
市教育委員会(宮国博教育長)は27日、市役所城辺庁舎で講師に理学博士の小元久仁夫さんを招いて報告会を開いた。小元さんは、これまでに城辺保良の東平安名崎付け根南岸部のマイバー浜のビーチロックに半埋没している岩塊(がんかい)について研究を続けた。その学術研究の成果を「マイバーバマの大シャコガイに関する鑑定結果と較正年代の意義について」と題して発表。その中で「岩塊の外縁部から採取した試料を依頼鑑定させた結果、岩塊はオオシャコガイでなく、ハマサンゴ化石であることが分かった」と明らかにした。
宮古島で地質に詳しい男性が、2009年発行の『宮古郷土史研究会会報』で「宮古島の特異な海岸地形(速報)」と題して発表。この中で、マイバー浜のビーチロック中の岩塊は化石オオジャコガイ、と記述。さらに「貴重な天然記念物として保存管理する必要がある」と提案した。オオジャコガイは、オオシャコガイともいう。
この提案を踏まえ、小元さんは、学術研究の目的で岩塊の外縁部から2個の試料を採取し、種の鑑定は木庭元晴・関西大学文学部名誉教授に依頼、試料の年代測定は名古屋大学宇宙地球環境科学研究所のAMS(加速器質量分析装置)により太田雅代・名古屋大学准教授が行った。
鑑定の結果、種は「ハマサンゴ化石」と断定し、試料2個のうち、1個から西暦1629年、もう1個から西暦1679年という年代を得た。
小元さんは、琉球王府の歴史書『球陽』を引用し「1667年に宮古島で地震強く、洲鎌村の旱田(ひでりだ)1210坪約3尺沈下して本田となる」と述べた。
ハマサンゴの較正年代は西暦1629年プラスマイナス年、1679年プラスマイナス32年とした。1629年の直近の地震(津波)は1667年、1679年の直近は明和津波の1771年と説明した。
その上で「マイバー浜の津波石の中には1667年と1771年のものもある」と付け加えた。
小元さんは、ハマサンゴ化石から二つの年代が測定されたことについて「1667年にも津波が起こり、ハマサンゴは運搬された。さらに1771年に明和の津波が発生し、再び運搬されただろう」と推測した。
小元さんは、元日本大学院理工学研究科教授・同大学文理学部教授。現役の時には宮古島に学術的地質調査で何度も訪れていた。特に城辺保良の石灰華段丘(せっかいかだんきゅう)を調査し大きな成果を上げた。
この華段丘は、野外では国内最大規模。昨年、国の天然記念物に指定された。