行雲流水
2017年8月5日(土)9:01
【行雲流水】(蝉の抜け殻)
8月ともなればわが世を謳歌していたナビガースの声がぴたりと止んだ。庭木の梢や草の葉の裏に残された抜け殻だけが蝉の現世の名残となっている。その抜け殻を空蝉(うつせみ)ともいい「源氏物語」では恋する女性の名前になっている
▼恋する人の心の襞(ひだ)のこまやかさが蝉の抜け殻に例えられてわびしくもあり虚しくもある。源氏の君が夕闇の迫る頃密かに訪ねた空蝉は他家に嫁いでいる義理の娘と囲碁を楽しんでいて声をかけることもできずに物陰で夜の更けるのを待つしかなかった。しかし娘は帰る気配もなく「今宵はここに泊めていただく」とそこに寝てしまう
▼空蝉は羽織っていた薄衣を脱ぎおいて別室に引き上げていく。ここからのくだりは源氏が娘の寝ている部屋に忍び入る前後の話で訳す人の使う言葉によって趣が違う。与謝野晶子はあからさまな言葉使いでわかりやすい。谷崎潤一郎は読者がある程度の知識を持つものとしての表現になっているがいずれも味わいのあることに違いはない
▼源氏にとっては本意の人ではない人との出会いを「意外の失錯」として忸怩(じくじ)たる思いであったが取り繕ってその場を引き上げる。帰り際に源氏は空蝉が脱ぎ捨てていった薄衣を持って部屋をでた
▼源氏は持ち帰った空蝉の小袿(こうちぎ)を手放すことができず心の内を吐露する
▼『空蝉の身をかへてける木の下になほ人からのなつかしきかな』谷崎はこれを「蝉が殻から抜け出して身を変えてしまうように、衣を脱ぎ捨てて逃げていった人のあとに、自分は取り残されながらなおその人柄のなつかしさを忘れかねている」と読む。もぬけの殻をいとおしむ夏の日の恋物語。