【花は島いろ】砂川 哲男さん(65歳)/株式会社Nansei社長
先人達の文化・歴史と新技術を融合/平良宮原出身
【那覇支社】那覇市で情報関連サービス業の「株式会社Nansei(ナンセイ)」を経営するのは、砂川哲男社長(65)。企業理念の中には、「先人達が築き上げた文化・歴史を新技術との融合を図り、新しい価値を創造して将来に残すことで広く社会に貢献する」と掲げる。
同社の社員数は約40人で、1級文書情報管理士など多数の有資格者を擁する。昨年は創立35年目を迎えた。最先端技術や機材を駆使し、紙資料や映像・音声・フィルムをデジタル化するなど、幅広いサービスを提供している。
現在の主な業務としては、国の沖縄振興一括交付金(ソフト事業)を活用した県立公文書館の「琉球政府文書デジタルアーカイブ」事業を行っている。復帰前の行政文書や資料、写真など16万点以上のデジタル化を進める。
「昔の本は、順番がばらばらだったり上下が逆さまだったりして、整理や撮影するのも大変な状況。それを年間200万枚ほどデジタル化する力仕事の要素もある」と、社員一丸で取り組む意気込みを強調した。
砂川社長は、宮古高校卒業後に東京の写真専門学校に進み、4~5年ほど写真関係の仕事に携わった。その後、沖縄に戻りマイクロ会社や写真事務所を経て独立し、1982年にNanseiにつながる「南西マイクロ」を設立する。社名には「宮古島を含む南西諸島を常に意識し、サービスを提供する」という気持ちを込めた。
創業記念事業では、宮古毎日新聞など島内で発刊された新聞のマイクロフィルム化に県立宮古図書館と取り組んだ。「当初は、台風の影響などで過去に発刊された新聞が保存されていない期間もある状態だった。県内外の図書館に協力を呼び掛け、1年ほどかけて資料を収集してフィルム化にこぎ着けた」と当時を懐かしんだ。
2006年に現在の社名に変更し、社会奉仕や文化活動にも積極的に取り組んできた。19世紀、一時はフランス皇帝として君臨したナポレオンに「琉球は武器のない島」と紹介した英海軍艦長バジル・ホールの来琉200周年記念碑建立のため、期成会の副委員長として奔走。昨年12月に記念碑を那覇市泊に設置した。
ふるさと宮古への思いも強い。来年に完成する宮古島市立図書館には、「郷土資料などがインターネットを通じて家でも自在に見ることが出来るようにしてほしい」と期待している。そして、「宮古島の歴史と文化に触れる環境づくりにより、子どもたちが島に誇りを持って夢を抱き心豊かに暮らせる島であってほしい」と願った。
砂川 哲男(すながわ・てつお)1952年5月20日生まれ。平良宮原出身。宮古高校卒業後、東京の写真専門学校に進む。82年に南西マイクロ設立。2006年に現在の社名に変更。