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花は島色
2017年11月5日(日)9:02

【花は島いろ】(企業編)/沖縄機械整備

100年企業目指す


沖縄機械整備の渡眞利敏代表(左)と来間健前工場長=糸満市西崎の本社

沖縄機械整備の渡眞利敏代表(左)と来間健前工場長=糸満市西崎の本社

 【那覇支社】沖縄機械整備は、初代代表で伊良部佐良浜出身の伊良部正吉氏が1967年10月31日に那覇市泊で創立。今年で50周年を迎え、船舶用ディーゼルエンジンの整備、保守、点検を主軸に活躍する老舗企業の一つだ。2代目代表の渡真利弘氏から97年に会社を受け継いだのが、現代表の渡眞利敏氏(67)=平良松原出身=。現在は糸満市西崎に本社を構え、28人の社員と共に汗をかいている。



 会社を引き継いだ当時のことについて「仕事の依頼はたくさんあり毎日忙しかったが、景気が悪かったこともあって、未回収の売掛金が膨らんで資金繰りに問題があった」と話す。会社再建のため白羽の矢が立ったのが渡眞利氏だったという。「今、この会社をつぶしてしまうわけにはいかないとの思いで代表を引き受けた」と話す。


 まず、再建の第一歩として社内の体制を整えるため、優秀な技術者の確保を図った。当時、大型漁船の機関士として働いていた同じ平良松原出身の来間健氏(67)に声を掛ける。渡眞利代表のいとこでもある来間氏は快諾し、二人三脚で再建に取り組んだ。


 次に、ディーゼルエンジンの専門会社としての強みを生かすことを考え、事業領域を拡大することを決める。当時は電力料金が高かったこともあり、自家発電機能を持つ病院やホテルなどが多く、その動力(エンジン)の設置や保守・整備の仕事を受注することができた。「海」にこだわらず「陸」へ事業領域を広げたことで、危機を乗り切ることができたという。


 来間氏は「当時は、仕事の依頼はたくさんあった。毎日忙しいのに、なぜ経営的に苦しいのか分からなかった」と振り返る。しかし、「とにかく、一つ一つの仕事を丁寧に仕上げ、納期を守り、顧客からの信頼を積み上げることが会社再建の一番の近道だと信じて仕事にまい進した」と語る。渡眞利代表は「私たちは好きな仕事をしているので、つらいと思ったことはなかった」と笑顔を見せた。


 今後について、渡眞利代表は「動力がどう変化するか分からない。時代の変化に対応することが大切だ。顧客が求めるニーズに全力で応えていきたい」と語る。官庁からの依頼も増える中、「沖縄の海の安全は自分たちが守っている」という精神で100年企業を目指している。

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