行雲流水
2018年5月26日(土)8:54
【行雲流水】(勝負事)
昭和40年代、那覇の国際通りに数件のパチンコ屋があった。仕事に就き自立した頃で休みの日にパチンコを楽しむ余裕もできた。一度大当りでいい景品を手にしたのがいけなかった。病みつきになってしまったのである。病みつきになってしまうと楽しむことを忘れて勝つことに執着してしまう。気にいった景品は二度と手にはいることはなかったが、それでもやめられず自己嫌悪に陥る始末だ
▼一大決心をしたのが冬の賞与の時だ。10ドルをパチンコに使うと決めた。勝つことにはこだわらない。土曜日の午後と日曜日のまる一日をパチンコ屋で過ごして10ドルが消えた。それ以来パチンコ屋を覗いたことはない
▼機械を相手にした一人勝負事だから勝ち負けでの損得は自分だけの問題として済んだ。しかし、スポーツに見るチームを組んでの勝負事となると個人の考えや行動はチームのために制限される。勝つことを大義名分として、そのためには手段を択ぶなと理不尽とも思える指示であっても選手はそれに応えなければならない
▼日大アメリカンフットボールチームの反則プレーがメディアを炎上させている。チームを率いる監督やコーチに対する非難が大学の在り方にまで波及してしまう事件になっているのだ。勝つことにこだわったことの結果とみるべきだろう
▼社会が人間の行為を勝ち負けで評価する仕組みになっているのだから勝つことを大義とすることになんの違和感も持たなくなっている。勝てば富と名声が得られる。負ければ社会の底辺を這うしかない。それが現代社会の姿なのだろう
▼日大の反則プレーは、人間社会がスポーツに限らず芸術や企業そして学問でさえ優劣を競う社会であることを考えさせられた。(凡)