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私見公論
2018年8月24日(金)8:54

【私見公論】親泊宗秀/裏方のざれごと

~情熱は人を動かす~

 大太刀を振るようなことはできない。脇差しもいささか、はばかれる。小柄(こづか「隠し刀」)くらいのことなら、話せるかもしれない。と、執筆の依頼を受けることにした。てな訳で、少しの間、私見にお付き合い頂きたい。

 この島で舞台に立つ!と言えば、マティダ市民劇場を思い浮かべる方が多いと思う。今では地元に無くてはならない施設となっている。縁あって、平成8年の開館当初から勤めることになった。認知度もなく、名称を覚えてもらうのにさえままならなかった頃、隣接する宿泊施設と勘違いされ、催し物がない日にもかかわらず、事務所の窓口を通過しようとする人が少なくなかった。来館の理由を聞くと、大体「2階の宴会場はどこ?」と尋ねられる。

 ここは劇場だと伝えても、怪訝(けげん)な顔をされ、「ここから入れるんでしょ!」と語気を強められる始末だった。そんなもんだから、認知度を高めるため、地元新聞紙面や市広報誌に、月間催し物案内コーナーを設けるなど、工夫をした。そもそも運営スタイルが構築されていたわけではなく、試行錯誤しながら日々、葛藤の連続だった。

 劇場のような文化施設は、劇場法(劇場・音楽堂の活性化に関する法律)で、その役割を謳(うた)っている。易しく言うと「劇場は、地域の文化芸術活動の手助けをし、人々に感動と希望をもたらし、文化活動の拠点として、人々が集う場所」と位置づけている。

 意外に難しい役割だ。平成29年度の年間稼働率は54%、多い月には80%を超え、文化の拠点としての役割は果たしているように思う。同劇場は舞台芸術活動の活性化を図るため、さまざまな取り組みを行っている。例を挙げると、職員の一人が、高校生の舞台活動が少ないことに気づき、人材育成に寄与するとして、バンド演奏を行っている高校生たちに声をかけマティダライブと銘打った自主事業が始まった。

 回を重ね3年目に、舞台発表だけ行うのではなく、舞台に立つまでのプロセスを自ら体感することが重要と考え、われわれはアドバイスはするが口をはさまないことをスタンスに、学生の自主性を重んじ公演の運営を委ねた。

 企画を進めていくと、さまざまな課題が噴出する。「舞台に立つ」そこに至るまでに何が必要か。一番必要なのは情熱だと思う。その気概が弱ければ、待ち受ける課題に立ち向かえない。バンドの練習とは別に、公演までにクリアしなければならない事柄が山ほど湧き上がってくるからだ。出演者全員で協力しなければ成立しづらい。出演するだけの傍観者ではいられないのだ。

 取り組むと決めたら強い意志が必要になる。覚悟のないものは脱落していく。選任された委員長は、取り組みが進むにつれて3回代わった。目的は同じでも、取り組みに対するメンバー個々の熱量が違っていたからだろう。

 公演までわずか3カ月を切ったころ、運営が思うように進まないことから、実行委員・出演メンバー全員と話し合いを持った。

 現状の確認、状況を打破するためには何が必要なのか。心の持ちようをどうすればいいのか。初めての経験なのだから紆余(うよ)曲折するのは当然である。むしろ、この経験こそが表現者として必要なステップであり、自ら道を切り開くことが意義をもつ。

 情熱が人を動かすと言う。学生たちは、体現することでチャレンジする価値と、プロセスは感動に変わることを実感できたに違いない。情熱を形にした学生たち、自ら創り上げたマティダライブは昨年10年目を迎えた。

 劇場の裏方として思うことがある。舞台に立つのに資格などはいらない。けれど、さまざまな思いを抱いて舞台に向き合う人たちがいることも事実である。マティダ市民劇場は小さな島の施設にすぎないが、人の心を豊かにする場所であり、舞台芸術を楽しむ館でもある。

 劇場の舞台スタッフは公演が終わると舞台のモップ掛けを怠らない。人が集う場所であってほしいとの一心で、「最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだ!」(P・T・バーナム)。

 親泊 宗秀(おやどまり・そうしゅう)1959年生まれ。宮古島市西里出身。1977年宮古水産高校卒業後、職業訓練校入校のため上京。1999年旧平良市役所へ採用。現在文化ホール勤務。創作活動:2008年宮古ペンクラブ第5回エッセー賞入選。10年第6回おきなわ文学賞随筆部門入選。13年第8回市総合文化祭写真コンクール入選。16年第45回沖縄県芸術文化祭写真部門入選。fun okinawa~ほーむぷらざ~にてコラム執筆中。

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