謝花雲石の戦前の書発見/市総合博物館収蔵
「書道史知る貴重な資料」
「沖縄の三筆」の一人と称される書家、謝花雲石(じゃはな・うんせき、本名・謝花寬剛、1883~1975年)が、戦前に草書で書いた書幅(掛け物、掛け軸)が市総合博物館の収蔵資料から発見されていたことが19日までに分かった。発見した沖縄国際大学非常勤講師の稲福政斉さんは「沖縄の近現代書道史を知る上で貴重な資料」と高く評価している。下地明市生涯学習部長らが会見し、改めて公表した。
謝花の戦前の作品は2009年に東京で発見された1937年のものとされる書幅1点のみであった。今回見つかった書幅で2点目となった。
稲福さんは書家の幸喜洋人さんの協力を得て37年に書かれた書幅と比較検討した結果、字形の酷似や共通点が見られることから謝花の作品と断定した。
新たに発見された書幅は、大正末から昭和戦前期にかけて沖縄県庁に勤めていた旧家の17世・仲宗根玄廣(1901~45年)が所蔵していた。同時期に県庁に勤務していた謝花に揮毫(きごう)を依頼したものと推定されている。
17世・仲宗根の息子で18世・仲宗根玄吉さん(現在89歳)が81年ごろに書幅を含んだ所蔵品を同博物館に寄託。稲福さんは、その収蔵資料から謝花の書幅1点を発見した。
書幅には草書で「水閣夏涼聴雨坐 蕉窗書静抱書眠」と書かれている。読み下しは「水閣(すいかく)夏涼しく雨を聴(き)きて坐し 蕉窓(しょうそう)昼静かに書を抱きて眠る」と解釈されている。
印章は引首印で「平生一片心」、上の落款印は「謝華之印」と記され、下の朱文方印は「雲石」と解釈されている。中国の古典を引用したとの見方もある。
謝花は1911年に朝鮮へ渡って書法を学ぶ。帰郷後は県庁に勤務する傍ら、沖縄書道界に尽力した。県庁の新旧の表札(石に彫られた文字)碑などは代表作の一つとされる。
那覇市出身。沖縄の芸術文化の発展に尽くしたとして、69年に勲五等瑞宝章を受章。72年に第1回沖縄県知事芸術文化功労賞を受賞。
旧家・仲宗根家の始祖は15世紀末から16世紀初めにかけて宮古を治めた首長・仲宗根豊見親(とうゆみゃ)。18世紀には宮古でも士族の証となる家譜(系図)が作製され、始祖は忠導氏(ちゅうどううじ)仲宗根豊見親玄雅(げんが)と表記された。名乗り頭字は「玄」となり、家系は代々「玄」を継承した。17世・玄廣と18世・玄吉さんは直系である。