集落の歴史など学ぶ/郷土史部会
総合文化祭史跡巡り
第13回市民総合文化祭に伴う郷土史部会の「松原・久貝両集落と来間集落の史跡巡り」が20日、3集落で行われた。宮古郷土史研究会の久貝春陽さんがそれぞれの集落におけるその成り立ちや歴史、伝承などを分かりやすく紹介した。
この日は、親子連れなど約40人が参加者。三つの集落を巡りながら、それぞれの集落にある御嶽や巨石墓、泉、石段などの歴史について学んだ。
久貝さんの説明では、松原と久貝の両集落で構成されている久松地区は、古くは「野崎」と呼ばれ、この「野崎村」と呼ばれる集落がいつから存在していたか定かではないとしている。
松原と久貝の両集落については、文献から「松原村」は1648年以前に村立。「久貝村」は1658年ごろに村立されたと考えられることが説明された。
現在使われている「久松」という呼び名について、久貝さんは「1898年に設置された平良尋常小学校久松分教所(現在の久松小学校)が始まりではないかと言われている」と述べた。
そのほか、来間島では、来間川(泉)、来間の石段、来間遠見、雨乞い座のデイゴなどを巡り、それぞれの歴史や言い伝えなどを学んだ。