井戸の内部に避難壕/市教委
23カ所の遺跡確認/伊良部戦争調査中間報告
市教育委員会(宮國博委員長)は1日、市伊良部公民館で伊良部地区での戦争遺跡分布調査中間報告会を開いた。4月からこれまでの調査では、県立埋蔵文化財センターが過去に伊良部地区で確認した戦争遺跡の約4・5倍の総計23カ所の遺跡を確認するなど大きな成果を上げた。市民らが熱心に聞き入っていた。
今回は長浜地域の民家の敷地内にある井戸の内部に構築された避難壕を市教委としては初確認した。市教委の久貝弥嗣さんは「井戸の深さは8メートル、天井から4メートル位の場所で掘り込みの避難壕を確認した。足掛けを利用して上ったり下りたりしていた。井戸に住民避難壕があるのは佐和田・長浜地域の特徴でもある」と強調した。
この報告会は、これまでの成果について検討や新たな情報提供を求めることを目的に開かれた。報告書は来年4~5月に発刊する予定。
久貝さんは「太平洋戦時の伊良部地区は昭和19年9月14日、独立混成第59旅団(碧部隊)が来駐し防衛にあたる。旅団長は多賀哲四郎少将。兵力は約4000人とも言われ、伊良部村民の約半分に匹敵する大兵力だった」と語った。
その上で「伊良部国民学校の校舎5教室は兵舎に、佐良浜国民学校校舎は野戦病院にそれぞれ転用された」と説明した。
中間報告後、長浜地域に住む佐和田美智子さん(86)は「夫の母から、敷地内にある井戸の中には避難壕があり、戦争中はこの避難壕に家族一緒に隠れていたという話を何度も聞いている」と話した。
さらに「今後とも井戸と避難壕は大事に守っていく」と決意を新たにした。