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私見公論
2019年1月25日(金)8:54

【私見公論】島尻 郁子/「ありがとう」「ごめんなさい」「愛しています」

三つのすばらしい言葉

 最後の投稿にあたり、まずはこの機会を与えてくださった新聞社・読んでくださった全ての皆様に感謝したい。

 8人兄弟の7番目四女として育ち、与えられた場所・環境の中でさまざまな体験から学び歩み続けて60年、振り返れば、ただただ自分の足りなさを反省することが多い中、心貧しく文章力の乏しい者に、大切な紙面を提供してくださり、この貴重な経験を通して、これからの人生をもっと楽しく過ごしていける勇気と喜びを与えていただけたことに、心からの感謝があふれるばかりである。

 地域福祉とは何かを学び、幸せなコミュニティーとは何かを考える時、感謝の心、謙虚な心、互いを思いやり互いに支え合い互いに愛し合う関係づくりが求められるという思いが与えられる中で、(地域の皆さんに感謝し身の丈で暮らす)ことの大切さを教えてくれた亡き父、子供たち一人一人の個性に対応しながら抱きしめてくれた亡き母の愛が思い出され、愛情深かった父母に感謝せずにはいられない。

 あなたの父と母を敬え…父母を敬えば幸せになり長生きをすると聖書は教える。

 もしかすると父母はそのことを知って私たちを育ててくれたのではないかと思う今日この頃、果たして私は子育ての中でそのことを示してきただろうか?と過去を振り返り悔い改め赦しを祈らずにはいられないのである。

 「ありがとう。ごめんなさい。愛しています」。私を導いてくださる牧師は日常生活で必要なのは、この三つの言葉と何度も繰り返す。

 そして、いつも喜び絶えず祈り全てに感謝する心と、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人の家を欲しがってはならない」と説き示してくれる。

 相手を自分より優れた者と思う心、受けるよりは与えるほうが幸いであると感じる心、与えられたものを感謝する心、その心が、「ありがとう」の一言に込められる。

 物事が思うようにいかなくて誰かに責任を負わせたり、根拠のないうわさに耳を傾けたり、つぶやいたり、争いの種を育てていることがよくある罪深い自分の心を見る時に、情けなくもあり悲しくもある。その心を慰め治めてくれるのが「ごめんなさい」の一言であり、「みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与える」という教えである。

 人が人を裁く時に憎しみと怒りが増幅するが、「ごめんなさい」と言えば平安が訪れる。 

 そこに「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなた方が量るとおりに、あなた方も量られるからです」という教えが生きる。

 愛されたい・大切にされたいという思いは人の最も根本的な本能であり、認められたい、受け入れてほしい、見かけを良くしたい、強くなりたいと願うのは私の心にも深く根付いている。その欲求の裏返しが、嫉妬であり、卑屈な思い、いじけ心、都合の良い作り話を重ねるところに生きづらさの課題があることをある日の牧師のメッセージで教わり気がついた。そんな自分の薄汚れた心に、「わたしがあなた方を愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい」という深く愛のある声が牧師を通して聞こえ私は変えられた。

 今は「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」という愛に触れられ、自分らしく生きていいんだと励まされている。

 「ありがとう」の言葉をたくさん発し平和を祈り、「ごめんなさい」と謙虚になり、怒りを祈りに変えて、「愛しています」「あなたは愛されている」と永遠に変わらない愛を伝える者となりたいと心から思う。

 大切な隣人一人一人に、御子イエス・キリストにつながれよ!と紙上で福音し続け、昨年、愛する宮古を離れた佐和田豊三氏に「ありがとう」とお礼の一言を伝えたくて名護の老人ホームを訪ねることができた。

 「三つのすばらしい言葉」は氏のエッセーにも記されている。

 愛すべき佐和田氏に敬意を表し、全てに感謝して、終わりに、ありがとう。
(NPO法人あらた理事長・社会福祉士)

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