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行雲流水
2019年2月28日(木)8:53

【行雲流水】(観光立県)

堺屋太一氏(83歳)が、今月亡くなった。沖縄の本土復帰に際し、観光立県を主導した人だ。今や、観光客数は年間約1000万人。那覇の国際通りは軒並み観光客向け店舗と化し、大いににぎわっている

▼復帰前の観光客は年間約20万人。戦跡めぐりの遺族団が主流だった。堺屋氏は、遺族の高齢化に伴い先細りになると予見、「若者を取り込んで末広がりの将来展望を開く必要がある」として、「空と海」を打ち出した


▼沖縄海洋博を企画し、現地メディアの猛反発を尻目に開催にこぎつけた。観光が勢いづくためには、年間200万人が必要だ。海洋博は、その起爆剤になると言っていた

▼当時、通産省は工業立県を目指し、工業用水、電力、工業用地の整備に多額の予算を投じていた。通産官僚である堺屋氏だが、「全国の自治体が工場誘致に走っているなかで、工場は要らないという県が一つくらいあってもいい」と意に介さなかった

▼「沖縄の気象や県民性は工業には向いていない。工場は来ない。サマーファッション産業のメッカになる可能性なら、ある。沖縄は全国一美しい空と海の優位性を伸ばすべきだ」と指摘

▼沖縄をアピールする手段として沖縄出身歌手の紅白出場などを東京で画策。現地ホテル業界との会合では、食事、接客マナー、制服のセンスなど具体的な改善策に言及し、納得させていた。その説得力は、那覇市内のホテルを私費で泊まり歩いた実体験に基づいていた。堺屋太一氏は、まさに博覧強記。先見力と行動力を兼ね備えた異色官僚であった。(柳)

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