高野移植50周年 さらなる発展を/平良
秋に記念式典開催へ
1961年、多良間村の水納島と平良の大神島、狩俣などからの移住者が開墾して誕生した高野地区が今年で入植周年を迎える。自治会では10月に記念式典の開催を予定していて、現在は準備委員会を結成し計画を進めている。入植当時の苦労を知らない3代目、4代目が増える中、半世紀の節目を盛大に祝うことで、開拓者に敬意をささげるとともに、地域のさらなる発展を目指す。
1961年4月25日、当時の琉球政府の移住計画により、水納島から18人、大神島から17人、平良から5人の計40人が先発隊として入植し、合宿所(現在の公民館)で共同生活をしながら開拓を進めていった。
先発隊最年少の19歳で水納島から入植した知念貞吉さん(70)は当時の印象を「とんでもない原野の中に連れてこられ、びっくりした。見渡す限りの荒野で、農道はあったが、道という道もなかった」と振り返る。
トラクターなどはなくすべて手作業で農地を開拓しながら、家族を呼び寄せるための家を作った。「水道がなく、となりの集落の水源地まで水をくみに行くのがいちばん大変でつらかった。台風も何度か来て苦労したが、先発隊の団長だった狩俣喜一郎さんが『これは自分たちへの試練。負けずに団結して頑張ろう』と励ましてくれたので乗り越えることができた」と当時の思い出を語った。
入植から65日後の同年6月28日に約4㌶を開墾し、住宅建設に着手。9月8日に完成させ、それぞれが家族を呼び寄せた。「50周年を迎えられるのは宮古島民や関係者などみんなのおかげ」と話す知念さんは、50周年記念事業準備委員会では会長を務める。「感謝の気持ちを込めて記念式典を行いたい」との思いを示した。
記念事業準備委員会の委員は先発隊の2代目世代が中心となっている。副会長を務める川満安次さん(62)は中学1年生の時に高野へ来た。「先輩の苦労を忘れないようにしながら、これからは自分たちの年代が頑張って、地域を盛り上げていきたい」と話す。荷川取吉光さん(56)は「これからは2世がいかに頑張るかが、地域発展の課題だと思う」、宮国定純さん(51)は「地域に暮らす若者が少ない。高野で生活できる環境づくりをしたい」との思いを語る。
準備委員会副会長で同自治会の平良昌敏会長(55)は「50年目を迎えることができるのは先輩の苦労のおかげ。記念式典では地域住民、関係者を挙げて、節目を盛大に祝いたい」と語った。