「喜び発揮の方法」/校歌遊戯の歴史調査
研究者が報告書まとめる
宮古島にある学校の運動会では当たり前に踊られる校歌遊戯。そんな地域特有の学校行事と向き合った研究者が一つの報告書をまとめた。卒業後も出身者の誰もが踊れる校歌遊戯は「人間の根源的な喜びを発揮できるツール」と表現。国民国家の形成を図る手段として機能した唱歌遊戯が、地理的条件などから独自の文化を持つ校歌遊戯として生み出され、「地域のアイデンティティーを育む結果となった」と結んでいる。
研究者は帝京科学大学教授の長見真さんと仙台大学準教授の藪耕太郎さん、同大学体育学部講師の山梨雅枝さんの3人。笹川スポーツ研究助成制度を活用して昨年4月に調査を開始、歴史を掘り起こしてきた。
報告書によると、校歌遊戯の基とされるのは唱歌遊戯だが、さかのぼると唱歌に行き着く。唱歌は明治期の学校において道徳の養成や標準語の獲得を狙って導入されたもので、近代教育政策の必須事項。その唱歌に体づくりの踊りを加えたのが唱歌遊戯だ。
こういった歴史の中で学校の校歌、校歌遊戯が受容されていったとみる。
かつては日本各地で踊られていたようで、長野県内の一部地域では実践例を確認したという。だが、「宮古島のように全域で踊られている現状は特例だ」とその特異性に触れている。
宮古島の校歌遊戯は縦隊で踊られ、複雑なステップや隊形変化はない。当初は国旗を手にしていたが、現在は校旗と市旗を持って踊るのが一般的になった。
校歌遊戯の導入時期は明らかにできなかったが、1921(大正10)年に北小学校の運動会で披露されたという記録は見付けた。各校似たり寄ったりの振り付けは、当時のまま継承されているものとみられる。
なぜ戦前から現在に至るまで継続して踊られているのかという問いには①国民形成手段としての役割②地域アイデンティティー形成のツールとしての役割-という視点を挙げ、「国民国家形成を図るための校歌遊戯を実施することで、かえって近接地域との差異が浮き彫りになり、その地域のアイデンティティーを育む結果になったとみるべきであろう」と分析している。
離島という地理的条件に派生する帰属意識や回顧的な側面も地域特有のアイデンティティーを形成する要因の一つに見立てた。
結論として「宮古島においての地域とは、疑似家族である」と例えて、「人間が根源的な喜びを発揮できるツールとして、学校行事の運動会を離れても校歌遊戯が踊られていると考えられる」と総括した。