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社会・全般
【インサイドリポート】宮古島文学賞の役割と可能性㊦
「胸を貫く作品期待」/描かれた島、全国発信
■14歳の挑戦
今回の文学賞には、宮古在住の中学1年生(14)が応募した。
インターネットの普及で若者の活字離れが進み、国語力や語彙(ごい)力が下がっているといわれている。
こうした状況下で、400字詰め原稿用紙30枚~50枚の物語をつくった努力は大きな財産になる。
感受性が豊かで多感な時期。残念ながら2次選考には進めなかったが、再応募を期待する声は多いはずだ。
主催する市文化協会の大城裕子会長は入賞作品発表のあいさつで「地元の文学賞に挑戦する心をたたえたい」と喜び、応募年齢の底辺拡大につながる可能性を展望した。
今回の応募者を年代別で見ると60代が最多で14人。次いで▽40代、70代12人▽30代10人▽50代7人▽10代4人▽20代、80代1人-。
平均年齢は52歳、最年少は13歳、最年長は80歳だった。
■宮古文学の魅力
元琉球大学教授で、沖縄文学に関して多くの著書がある仲程昌徳さんは、多良間村出身の作家、譜久村雅捷(まさかつ)の作品をひも解き「小さな島こそ、生活のありようを鮮明に映し出すことができる。それが島の文学、ひいては宮古文学の魅力だ」と話す。
「島の文化や伝統を掘り起こしながら、新しい形で再生させていくのが文学の使命」と強調。その上で「そこでどういう風に生きているか、なぜそういう風に生きなければいけないのか、そういうものを発掘してもらいたい」と熱っぽく語った。
市立図書館で5日に行われた「文化講座」の中で述べたもので、出席者からは「譜久村さんの作品集は多良間島を題材にしたものが多い。宮古島文学賞のテーマも島。島をテーマにした文学を掘り起こすこととリンクする」との声があった。
■文学賞の役割
宮古での文学賞の時代をさかのぼると、「宮古文学に種をまく人」と呼ばれた平良好児の遺志を受け継ぐために創始された「平良好児賞」がある。
平良が亡くなった翌年1997年に当時の「顕彰会」が創設。毎年、宮古に関わる各種文芸部門で、優れた文筆活動をした個人や団体を表彰してきた。
宮古毎日新聞社は2005年の創刊50周年を機に顕彰会から引き継いだ。
17年からは市文化協会が同社から継承する形で、名称を変え運営している。
宮古島文学賞は、島の文芸活動のさらなる振興を目的に、サンゴ礁に育まれた文学風土を全国に発信することを掲げている。
最終選考委員の一人で、児童文学作家のもりおみずきさんは今回の入賞作品発表の席上、一席に選ばれた「宮古の花の咲かせかた」を「この作品に描かれた宮古を全国に発信できれば。未来の宮古島はこういうところなんだと。皆さんに読んでもらいたいと切実に思う作品」と絶賛した。
■文学賞の可能性
入賞作品が多くの人に読まれるばかりでなく、物語の舞台となった宮古を訪問したいと思う人も出てくるはずだ。「あの小説の場面はこの場所だったのか」と。
そうなれば、映画のロケ地などを巡る旅「フィルムツーリズム」のような新たな観光の形態が生まれるかも知れない。
宮古島文学賞はプロ、アマを問わない。大城会長は「あらゆる人やあらゆる作品を同じ土俵に上げる」と話す。
ジャンルも問わないことから「書き手が目指すものが強く問われる」とも言う。
「言葉にはならない意思の全てを注ぎ込んだ、胸を貫くような作品が多く寄せられることを期待する」と全国へ呼び掛けている。
宮古島文学賞は回を重ねるごとに知名度を上げ、影響力も増してくるはずだ。
受賞後も活躍を続ける作家や、応募をきっかけに作品を次々と生み出す作家の輩出を担う文学賞として期待されるところは大きい。