きょう日本復帰48年/コロナで平和行進中止に
沖縄県は15日、日本復帰から48年を迎えた。1952年のサンフランシスコ講和条約発効で沖縄は日本から切り離され、72年の復帰まで20年間にわたり米施政下に置かれた。このため、高度成長を経た本土との経済格差解消も課題となった。復帰後、宮古島では道路や港湾、学校などの各種インフラ施設の整備が急激に進み、本土との社会格差は解消されつつある。しかし、少子高齢化や都市部への人口流出に伴う学校統廃合、高齢化による農業従事者の減少と担い手不足など、離島ならではの新たな課題に直面している。
さらに近年では、観光客が増え過ぎるオーバーツーリズムが指摘されるなど、観光に力を入れている半面、上野千代田に建設された陸上自衛隊宮古島駐屯地、城辺保良に建設が進められている弾薬庫は賛否が渦巻いている。
例年行われる「5・15平和行進」は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から中止が決まった。
平和行進を主催する沖縄平和運動センター宮古島では「中止にはためらいもあるが、やむなし」とした上で「国防の名のもとに安倍政権が中国封じ込め策として、南西諸島をミサイルの盾にするため軍事基地化を急いでおり、緊張激化を招くことは必然」と指摘。「万一、戦争となれば宮古島全体が標的になり、ミサイル保管の保良弾薬庫建設は宮古全体の問題である」として、保良、七又の住民らとともに反対行動に参加してほしいと呼び掛ける。
一方で、復帰記念日が近づくと当時を思い起こし、現在と比べてみる人も多い。
平良島尻に住む仲里長造さん(66)もその一人だ。復帰の年の72年3月に宮古水産高校を卒業。米ドルを日本円に交換し、パスポート所持で大阪へ渡航した。
当時の沖縄はまさに外国。仲里さんは運良く大手企業に就職を果たし、月給4~5万円の高給取りになった。
その年の5月15日に沖縄は日本復帰した。仲里さんは、実家の都合で就職してから1年後に帰省した。「その時はパスポートは必要なく、ようやく沖縄は日本だと実感した」と振り返った。