五勇士記念館など要請/久松期成会
下地市長、前向きの姿勢示す
久松五勇士記念資料館及び公園整備期成会の仲間則人会長らが31日、下地敏彦市長に同整備を要請した。下地市長は「今後どのような形で進めていくか、関係機関とも相談しながら取り組んでいきたい」と前向きな姿勢を示した。
仲間会長は「久松五勇士顕彰碑は1966年8月に建立され、45年の歳月を経ている。近年、訪れる観光客が増えている。特に歴史的な偉業を成し遂げた『五勇士の存在感を大切にしてほしい』とたくさんの声が内外から寄せられている」と説明。
その上で「伊良部大橋の完成時に、久松五勇士顕彰碑前方から一周道路が計画されていることを知り、久松五勇士記念資料館・公園整備は、まさに千載一遇のチャンスだと思っている」と述べ、整備事業の推進を要請した。
期成会の与那覇昭雄顧問が、五勇士が使用したサバニの歴史などを説明した。
3月27日に期成会は立ち上げられた。
1905年、ロシア海軍のバルチック艦隊が宮古近海を航行していた。宮古に通信施設がなかったことから、久松集落の漁師5人が同施設のある石垣島までサバニをこいで渡り、八重山郵便局に駆け込んだ。電信は那覇の郵便局本局、県庁を経て東京の大本営へ伝えられたとされる。後に、久松五勇士の活躍は教科書で紹介された。