「愛と和平」石像移設へ/下地中から公共の場に
「牡丹社事件」の和解象徴
「牡丹社事件」の加害者と被害者の和解の象徴、「愛と和平」の石像が下地中学校から移設される。「もっと多くの人に知ってもらいたい」との声に市が応えたもので、移設費用が市議会で承認された。移設場所は決まっていないが、市役所、下地庁舎前の池原公園、市熱帯植物園、カママ嶺公園が候補地として上がっている。
石像は台湾牡丹郷にある記念公園の石像のレプリカ。琉球風の衣装とパイワン族の衣装を着た若者が肩を組み「連結杯」で酒を飲んでいる。
2005年6月に台湾から訪問団が来島した際、双方が謝罪し、未来志向の友好を築いていこうと「和解」が成立。石像はこのことを記念して台湾側から寄贈された。
台湾の学校と交流がある下地中に設置されたが、由来などは多くの市民に伝わっていなかった。
「牡丹社事件 日本と台湾、それぞれの和解」(集広舎)の著者、平野久美子さんは19年5月に来島し、「事件の概要を広く正しく伝えていくためにも、誰でも気軽に足が運べる公共の場に移設することが望ましい」と市に要請した。
平野さんは24日、コメントを寄せ「2024年は台湾出兵から数えて150年目。節目の年を前に移設が決まったことは望外の喜び。事件を多くの方々に知らせ、台湾と日本双方の当事者の和解を深めるためにも、そして若者同士が未来志向の関係を築くためにも、この『愛と和平の像』は大きな役割を果たすだろう。この石像はまさに日台友好のシンボルなのです」と話した。
石像の移設は、上里樹氏が市議会一般質問でたびたび取り上げていた。12月定例会一般質問で、砂川勤教育部長は「補正予算成立後、移設向け取り組んでいく」と答弁した。費用は10万7000円。移設は今年度中にも行われる。
牡丹社事件 1871(明治4)年、宮古島民の乗った船が首里王府に年貢を納めた帰り、台風で遭難し台湾に漂着。上陸した66人が原住民族、パイワン族の集落に助けを求めたが、双方の誤解が重なり54人が殺害された。「琉球民遭難殺害事件」といわれ、台湾出兵のきっかけとなった。どちらも台湾恒春半島の「牡丹社」が舞台となったため、この二つを併せて「牡丹社事件」と呼ばれている。