原発事故の被災地から避難/伊良部出身 川口美江さんと夫
市民の部屋提供に感謝
東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発の放射能漏れ事故を恐れて、被災地から宮古島に避難してきた川口信夫さん(64)と美江さん(54)夫妻が12日、本紙などの取材に応じた。自宅は福島第1原発からわずか4㌔先。何も持ち出せずに着の身着のままで避難してきた2人は、市民が提供した部屋に住むことになり、少しではあるが落ち着きを取り戻しつつある。しかし、自宅がある福島県双葉町は町全体が避難指示の範囲内。「しばらくは戻れないだろう」。先行きが見えない暮らしに不安は増すばかりだ。
「せめて家族のアルバムだけでも取りに戻れたら」と伊良部出身の美江さん。
美江さんは地震後、職場の老人ホームで約80人の入所者の世話に追われていた。放射性物質が大量に出ている可能性があり自宅には戻れない。電話も通じないため信夫さんとも連絡が取れなかった。
一方、信夫さんは、地震直後、職場から自宅へ向かったが道路は亀裂や陥没に加え渋滞がひどく、7~8時間掛けてやっとたどり着いた。
その後、6日間にわたり屋内退去を余儀なくされた。水道、ガスはストップ。テレビからは「付近住民は避難してください」と呼び掛けていたが「どこに逃げて良いのか、車のガソリンは切れているし」
水や食料が尽きたころ、信夫さんは自宅を出た。その直後、美江さんと電話が通じ再会できた。
2人はしばらく避難所生活を続けたがその後、横浜、三重にいる娘たちの家に身を寄せた。
家からは何も持ち出せなかった。財布には現金3000円。「さあ、これからどうしよう」と思案に暮れたという。
4月9日、2人は美江さんの故郷宮古島に親戚を頼って避難した。
信夫さんは「他人に迷惑は掛けたくない」と当初、宮古島行きに難色を示したが、美江さんや娘たちが強く要望した。美江さんは「主人は福島で生まれ育ったので、思いは複雑だったはず」と気遣う。
部屋を提供した真喜屋浩さんは「気兼ねせず、被災地が回復するまでいてほしい」と話す。1年間は無料で貸す予定という。
真喜屋さんは「今は国を挙げて支援していかなければいけない。私たちに何かできることがないかと思った時、空いている部屋を提供することができると思った。利用してほしい」と語った。
市社協からも家電製品などの支援を受けたという。美江さんは「宮古島の人たちに心から感謝している。まだ多くの人たちは避難所で生活している。私たちは、周囲の人たちのおかげで恵まれている」と話した。