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社会・全般
「映画 一粒の種」は観ましたか?/池城 かおり
ペン遊ペン楽2011.4.28
先日、映画を観てきました。今年の沖縄国際映画祭に出品された宮古島発信のドキュメント映画「一粒の種」。本島で開催の映画祭に行くことはできなかったので、宮古島での上映を心待ちにしていました。この「いのちのうた」が生まれた経緯はここで申し上げるまでもなく、すでに多くの方がご存知だと思います。それでも、今この映画を、大合唱の奇跡をフィルムに残したことの意味をそれぞれの方が強く思うに違いありません。私個人が思いを巡らしたことを書いてみます。
この大合唱が撮影されたのは2月5日でした。ちょうど、本土から友人たちを迎えていて、こんなイベントがあるのですよ、と紹介していたので日付を覚えています。そして約ひと月後の3月11日、東日本大震災が起きました。さらにひと月が経ちました。いまだ行方不明者は1万を超える人数です。度重なる余震に心を砕かれながらも、社会は復興へと歩みを急いでいます。
インターネットで見つけた記事で、復興の気運の高まりに「取り残された」感情をもつ人々が少なからずいらっしゃることを知りました。復興とは何をもって言えるのか、そういえば私自身よく分かりません。瓦礫を取り除き、電気やガスや水が通り、新しく家を建て直すことは復興の一面でしかないのでしょう。そういったインフラが戻ることがどれだけ安堵をもたらし、気持ちを支えてくれるのかということは理解しやすいことです。
怖い思いをしていない私は、当事者の気持ちに寄り添えるような想像を働かせることができません。しかし映画を観て確信したのは、この歌が必ず、これまでよりもっと多くの人たちの心を受け止めてくれるということです。なだめるでも無く、癒やすのでも無く。被災地も、そうでない場所の人たちも。そういった普遍性が、この歌には存在します。それは私が思いついたのではなく、映画の最後におばあが言っている言葉にあります。
声高に「この歌をもっと広げよう」などと、私の小さな声で訴えるまでもなく、この歌は必要な方々へ届けられることでしょう。一粒の種になりたい、と願った思いは詩になり、歌になり、本になりました。そしてあらためて、宮古島から「映画」として発信されたことをとても誇らしく思っています。5月2日まで上映だそうです。たくさんの方とこの気持ちを共にできると期待しています。
(図書館ボランティア)