差別の歴史風化させない/ハンセン病市民学会 交流集会
2011年ハンセン病市民学会第7回交流集会in名護・宮古島の宮古島交流集会(主催・同実行委委員会)が20日、国立療養所宮古南静園で開かれた。「ハンセン病と戦争を考える」をテーマに、宮古退所者の会の上里栄さん(77)が講話。日本軍に園から追い出され、海辺の自然壕などに身を潜め生き抜いた入所時の戦争体験を語り、差別や偏見の歴史を風化させずに真の社会復帰に向けての取り組みを訴えた。壕などを見学するフィールドワークや交流会も行われた。
ハンセン病市民学会は2005年に設立された市民グループで、毎年5月に交流集会を開催。第7回目となる今回は、南静園のある宮古島と沖縄愛楽園のある名護で20~23日の日程で実施されることとなった。宮古島交流集会には県外から151人、島内から81人の計232人が参加した。
集会で上里さんは「戦争をのりこえて」と題し、入所時に実際に経験した戦時中の過酷な避難生活の様子を語った。
園は1945年3月に米軍戦闘機から機銃掃射を受け、入所者数人が死傷した。重傷者の1人が上里さんの叔父で、治療を受けることもできないままその後、亡くなったという。上里さんは「少しでも治療できていればもっと長生きできたかと思うと残念でしょうがない」と無念さを表した。
戦争が激しくなると、海岸線からの米軍上陸を阻止するため園に日本兵が入ってくるようになり、入所者は「じゃまだからどけろ」と追い出されたという。上里さんら入所者たちは海岸線の自然壕やその周辺の雑木林に小屋を作り生活した。「終戦までの生活は大変だった。飢餓による栄養失調やマラリアで1日に3、4人は亡くなっていった」と当時の悲惨さを振り返った。
「国の誤った政策でハンセン病患者は差別と偏見に苦しんできた。今も真の社会復帰ができないという現実がある」と訴える上里さん。「差別解消のための啓発への取り組みに協力をお願いします」と呼び掛けた。
集会の冒頭、実行委員会委員長を務める宮里光雄宮古南静園入園者自治会長はあいさつの中で「戦争もハンセン病も風化が進んでいるが、過去の出来事として片付けることは許されない」との考えを示したほか、長濱政治副市長は「今回の交流集会が、全国にハンセン病に対する正しい知識を広める契機となることを期待している」などとする下地敏彦市長のあいさつを代読した。
今年は、らい予防法廃止15周年、ハンセン病国賠裁判勝訴10周年に当たる。
同市民学会は、21日は名護市民会館で、22日は沖縄愛楽園で「名護集会」が開かれる。