きっかけは理解者の温かさ/ハンセン病とフォーラム
カミングアウトの体験語る
「ハンセン病とカミングアウト」と題したフォーラム(主催・ハンセン病と人権市民ネットワーク宮古)が9日、療養所退所者の金城幸子さんや上里栄さん、平良仁雄さん、知念正勝さんをパネリストに市社会福祉協議会平良支所で開かれた。らい予防法廃止から10年、熊本国賠訴訟判決から15年を経た今も、退所した回復者の多くがカミングアウトできない現状などについて、それぞれが自らの体験を踏まえ、意見を述べた。
宮古退所者の会の知念正勝代表は「社会に出たとき、人が一番怖かった。退所し社会復帰してもこの恐れがカミングアウトを妨げていると思う」と話した。平良さんは「偏見や差別が残る中で、理解者の温かさがカミングアウトをするきっかけだった」と述べた。
全国で推定約1300人、沖縄で600人いるといわれるハンセン病療養所の退所者の多くが未だに、自らがハンセン病回復者であることを明らかにできずに生活しているという。
5月20~23日に掛けて沖縄で開かれた第7回ハンセン病市民学会でも退所者のカミングアウトが大きなテーマとして論議された。 パネリストそれぞれがカミングアウトした時期や決断した理由などを含めて自己紹介をした。平良さんは「5年ほど前に、差別が残っている中でも、理解してくれる温かい人が多くいることに気付いた。その温かさがカミングアウトをするきっかけになった。その時期に触れた人の温かさで心が解放された」と話した。
金城さんは、国賠裁判後に子どもたちから自らの体験を伝えなくて良いのかと問われた。裁判を支援してくれた人たちや、障害などを持つ子どもたちと触れ合ううちにカミングアウトすることを決意し、以後、精力的に講演活動を続けている。
上里さんも「カミングアウトするのは怖かった」と話す。退所し愛楽園で25年勤めた。古里の宮古島に戻っても、そっと生きてきたという。南静園のボランティアガイド養成に携わってほしいとの依頼を受け、子どもと相談した。子どもたちから「何でもないから、引き受けたら」と言われ、カミングアウトを決めた。
フォーラムでパネリストは「約90年続いた『らい予防法』がハンセン病は怖く、うつりやすい病気と印象付けた。それぞれ事情があるにしろ、退所者が、差別や偏見を受けるのではないかという恐怖心を払拭できず、カミングアウトを阻害している理由の一つになっているのではないか」と話した。