企画・連載行雲流水
2011年8月27日(土)9:00
新しい日本をどうつくるか(行雲流水)
司馬遼太郎は今から20年前、「新しい日本をどうつくるか」の演題で、文明を中心に講演している。文明の普遍性に対して、反対の立場にあるのが文化。文化は個人あるいはグループだけの特異なもの
▼遣唐使以来の日本のあゆみを解説。日本は古来からずっと文明を摂取してきた国、自ら文明を興した国ではない。〝政治的鎖国〟が日本文化をつくり、同時に日本人の閉鎖的な気質をつくった
▼戦後の日本は、国内的には自由と人権は十分な水準に達した。しかし、他国の人権あるいは自由という窮迫の状態に対して、他の国々に率先して苦情を申し入れるほどの自信はない。というより、世界の現段階での文明を一人背負っているという、自負はないと厳しい
▼この自負は、カトリック文明を持つアメリカあるいはイギリス、フランスにあると説く。一方、市場開放は20世紀文明の基準だと説く
▼日本が市場開放し、労働市場を大規模に開放すれば、国家そのものが変質、より純粋度の高い法による国家にならざるを得ない。そこまでして日本は文明の担い手にならざるを得ないのかと当惑するという。古来の日本精神史における〝いい感じの日本〟を再発見して再充電しつつ、多様性に堪えてゆくしかない。日本人がもし腰を入れて世界の組合員になる気なら、文明の責任をもたざるを得ないと説く
▼「21世紀の日本」委員会創設フォーラム(朝日新聞社主催)での講演は、『春灯雑記』に「踏み出しますか」の表題で収録されている。