来年カツオシンポ開催へ/若林学会長が申し入れ
カツオ一本釣り漁業107年の節目
日本カツオ学会長の若林良和愛媛大学教授が29日、市役所平良庁舎に下地敏彦市長を表敬訪問した。若林教授は「来年宮古島市で、カツオシンポジウム2012(仮称)を開催してほしい」と改めて協力を申し入れた。下地市長は「約束通り開催する」と明言した。来年は宮古でカツオ一本釣り漁が始まってから107年の節目を迎える。
同学会は昨年1月、カツオ資源や文化の調査、情報交換の継続を目的に高知県黒潮町で設立された。カツオ漁業にゆかりのある黒潮町や鹿児島県枕崎市、沖縄県本部町、宮古島市など全国10県の16市町で組織している。
昨年は黒潮町で初めてカツオシンポジウムが開かれた。今年11月は枕崎市で「カツオフォーラム2011in枕崎」が開催される予定。
宮古島では、1906(明治39)年にカツオ一本釣り漁が始まった。平良の西里通り商店街で商店を経営していた、鹿児島県出身の鮫島幸兵衛が同県からカツオ漁船の帆船2隻を導入。池間漁師らを雇い、狩俣地区沖合などでカツオ一本釣り漁に着手したとされる。
97年には、池間島の漁師らが出資組合を設立し、鮫島からカツオ漁船2隻を購入。これが宮古の地元組織による初めてのカツオ漁船経営となった。
大正時代には、県が鹿児島県や愛媛県などのカツオ漁業の技術指導者を宮古に派遣。また愛媛県などの鰹節削り技術者の女性たちを派遣し、宮古の女性たちに鰹節削り技術を指導した。技術を伝授した女性たちは、その後鰹節工場でリーダー的な地位で活躍した。
現在県内でカツオ一本釣り漁業で操業しているのは伊良部漁協所属の喜翁丸、昇栄丸、八幸丸の3隻となっている。
若林教授は「宮古の産業や文化を考えたい。カツオ漁業だけでなく、農業・畜産・水産・観光を含めて開催できれれば。地域産業の振興を図り、今後のビジネスを考えてほしい」と語った。
下地市長は「今後の水産構造改革も考えたい」と述べた。
川上哲也教育長らが同席した。