「八重山に金志川金盛の古墓」/奄美沖縄文芸学会
石垣繁さん(八重山文化協会長)が強調
奄美沖縄民間文芸学会宮古島大会(主催・同学会、共催・市教育委員会、宮古郷土史研究会)の研究発表・講演・シンポジウムが23日、市中央公民館で行われた。研究発表では、4人が日ごろの研究成果を紹介。石垣繁さん(八重山文化研究会長)は「民話の系譜-宮古の英雄・金志川金盛は八重山に生きる-」と題して発表。「八重山の新城島に『金志川金盛の古墓がある。今後研究を続け明らかにしたい」と強調した。参加者らは、興味津々に聞き入っていた。同学会
が宮古で開催されたのは7年ぶり。
金志川金盛は、仲宗根豊見親玄雅に随行して1500年に八重山のオヤケ・アカハチの乱、1522年に与那国島の鬼虎征伐に参戦した人物。征伐から帰還途中、仲宗根豊見親玄雅は金志川金盛が目障りとなり、征伐に参加していた多良間島の土原春源(のちに土原豊見親春源)に暗殺を依頼し、同島で金志川金盛を殺害したなどの説がある。
石垣さんは「宮古島には金志川金盛の墓はなく、多良間島にあるというので多良間島に渡って調査した。そこにはイビ(霊石)と香炉があり、墓ではない」と断定した。
中山瑠衣さん(国立科学博物館)は「八重山の竹富島の神司とカンフチ」と題して発表。中山さんは「御嶽の儀礼の中に、カンフチ(神口)とニガイフチ(願い口)があり、カンフチから唱える。その後にニガイフチがある。今後も女性の神司を通して研究を深めたい」と話した。
久貝弥嗣さん(宮古郷土史研究会員)は「考古学的視点からみた12~16世紀の宮古」と題して紹介した。 仲間伸恵さん(同会員)は「宮古の地機および宮古の織物」と題して発表。「宮古では、1908(明治)年に初めて高機が導入された。それ以前は地機であり、その特徴は丸太状の大きな緒巻き(マキダ)であったが、現在は使われてない」と語った。
講演会では、豊見山和行さん(琉球大学教授)が「生霊とユタをめぐる首里王府と民衆」、本永清さん(宮古島市史編さん委員)が「宮古歌謡の世界」と題しそれぞれ講演した。