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社会・全般
川満 一彦さん(61歳)沖縄メディカル病院常務理事
「人生二毛作の気持ちで」 川満 一彦さん(61歳)(下地川満出身・浦添市在)
昨年還暦を迎え、改めて郷里のことを考えるようになったという。下地中17期生の還暦祝賀会では県内外のアグ(同級生)たちに参加呼び掛けの文章を書いたのは川満さんだった。記念誌の巻頭言で「生かされた者は、人生二毛作の気持ちを持ち、頑張ろうではないか」とあり、第二の人生に大きな夢を描いている。
まさに団塊の世代を生き抜いてきた。大戦後の混乱期に3人兄弟の長男として両親と苦労を共にしてきた。「ホヤランプのすすを払い、まきでイモを炊き、うすで大豆をひき豆腐を作り、時には水くみもさせられ、草刈り、芋掘りは当然の日課だった。
農家生まれの宿命として、家畜の世話をしながら自分の目標を成し遂げるのにみんな一生懸命だった」 「宮高同窓生は優秀な学年で、当時県内外の医学部に14人合格した。私は、復帰後沖縄の経済すべてを把握したくて大学では経済を専攻し、卒後は県生産性本部に入社、第1号のインストラクターになった」と話し、その後沖縄の経済界はもとより、全国日本学士会沖縄支部事務局長として、異業種交流・文化・国際交流などに携わり、あらゆる分野で活躍している。
1986年、沖縄メディカル病院設立のため、社会経済研究所から出向して事務を手伝ったのが縁で、現在は同病院の常務理事に。今では、「学問の自由と民主化」を旗印に46年発足した全国日本学士会の副会長をメディカル病院会長の真栄城徳佳さんが務め、事務局長を川満さんが務める二人三脚の活動も続け、毎年、文化講演会やシンポジウムを開催している。
「第二の人生は、ふるさとに目を向ける」と話し、昨年は県立看護学校の宮古出張大学院開設にも奔走した。「これからは生まれ育ったふるさとを誇りに思い、育ててくれた先輩たちに恩返しをしていく人生にしていきたい」と話しながらも、沖縄は日本の南玄関としてハブ空港を整備し世界とつながらなければならないと、日本、アジア、世界を見据えた「21世紀ビジョン」の思い半ばにいる。
川満 一彦(かわみつ かずひこ)
1949 年5月1日生まれ。宮古高校卒。沖国大商経学部卒。
72年、社団法人沖縄県生産性本部入社。
93年、全国日本学士会沖縄支部幹事・事務局長。
96年、沖縄メディカル病院参与(理事会企画開発室長)、現在常務理事。
2004年、県立看護大学後援会会長。
その他、もろもろの役職あり。幸子さんとの間に1男1女。