辰年展望・復帰40年/岡村 一男
-そして自立へのシナリオ
私見公論16
新しい年が始動した。多くの難題を抱えてのスタートとなった。自然の驚異に戦き、人知の限界を知らされた思いである。経済効率と安全神話に隠された虚構と人災に人々は不信の念を募らせた。
まさかの時の整然とした行動が日本人の美徳として、世界中から賞讃されたが、額面通り受けるには迷いもある。寄せられた多くの善意に感涙し、忘れかけていた人間性を発見し、復興への力と勇気に変えたのは心強い。政治の体たらくに激しい怒りと嘆きを覚えつつ、昇竜の勢いにあやかりて希望の年につなげたいとの願いはだれも共通である。
国も個人も何を目ざして進むかを問われ、岐路に立たされた。政治の力量が問われ、政治家の資質とともに国民の意識が一層重みを増す年となった。海外に目を向ければ、今年は主な国々のリーダーが交代または国民の審判を受け、新しい世界秩序を求めて登場するという珍しい年である。もはや世界には一国だけで解決できる問題はほとんどなくなった。食糧、資源、エネルギー、環境、安全保障等々世界中が深く、密接にリンク(結びつく)するようになった。わが国の内政、外交、そして私たちの日々のくらしでさえ、世界の動きと連動している。
今年は沖縄が本土復帰して40年の節目の年である。沖縄にとって最大のテーマは「自立」であろう。自立を目ざして昨年11月には「沖縄21世紀ビジョン」の基本計画が策定され、次なる10年に向けて明日の沖縄の在り方を求めてスタートした。
沖縄の自立の前に立ちはだかるのが基地問題である。私的なことになるが、1972年2月(復帰の年)、私は3年間の米国留学を終えて帰国した。ハワイで1年、ロスで2年の滞在だった。沖縄が27年間、米国統治下にあった最後の3年間、島を離れた。
あれから40年が過ぎた。復帰の意味さえ知らない世代が多数となったいま、沖縄の復帰運動とは何であったかを問うことさえむずかしくなった。県民としてのアイデンティティーの確立や、未来志向で燃やしたあの激しい県民の情熱と行動力は沖縄の過去、現在、そして未来を考える上で欠かせない力の源泉であると信じている。
住んでいたロサンゼルス市にはアメリカ有数の発行部数を誇るロサンゼルスタイムズがある。その紙面に沖縄問題が取り上げられるのはほとんどなかったように思う。沖縄では復帰の日程が最終的なタイムテーブルにのり、復帰の条件をめぐり激しい闘争が展開されている最中である。
米国にとってアジアの小さな島のできごとは遠い遠い地球の果てのできごとであり、大国アメリカにとって取るに足りない問題として考えられていることが感じられた。米国50の州はそれぞれが独自の法体系をもち、州の独立性が強く、自分の州やローカルの政治、経済、福祉等々には強い関心を示しても、国や外交問題にはさほど関心を示さないという国民性をもっている。
一方、アメリカは民主主義の国である。国民世論を最も大切にし、政治も行政もその動向に異常なほどに敏感である。復帰40年を機に沖縄の現状を訴え基地問題解決の糸口を見つけるとすれば、それは直接に米国の国民世論に訴えることがより効果的な方法のように思われる。今回の訪米要請団の成果に期待したい。
災害も基地も痛みを伴う点では同一線上にある。「沖縄の痛みは全国の痛み」の心情を全国民が分かち合う意識と行動こそが問題解決への大きな力となる。
さて、足元を見つめよう。宮古島市が誕生(平成17年10月1日)して8年目を迎えた。何がどう変わったか、何が変わらなかったか、何をどう変えるべきかを総合的に検証し、次のステップに進む手順を大切にしたい。合併によってややもすれば希薄になりがちな市民意識や地域のアイデンティティーを確立し、発展へのパワーにすることが欠かせない。島の魅力はそこに住む魅力ある市民によってのみ創出される。