アヤグゆかりの地を訪ねる/市総合博物館第20回企画展関連事業
先人の生き様、民謡の調べで
市総合博物館(奥平徳松館長)の第20回企画「さんしん展」(2月25日-3月18日)の関連事業「民謡(アヤグ)ゆかりの地を訪ねて」が10日宮古島島内を中心に行われた。学芸員の砂辺和正さんの案内で歴史をたどりながら、それぞれゆかりの地で奥平館長と歌い手の久貝哲雄さんが民謡に合わせて三線を奏でた。参加した20人余の市民は力強い歌や叙情的な歌を聴きながら先人の生き様をしのんでいた。
バスで出発した一行は、鏡原にある「馬場跡」を皮切りに12カ所の史跡や御嶽を巡り、民謡の調べで先人の生き様をたどった。
鏡原馬場(かがんばりんまば)あやぐ
とうがに兄(すぅざ)
下里添(上区)の北方に広がる嶺辺りに伝わる民謡で、叙情的な恋歌。恋人唐金兄と最初出会ったンミア沼のヤラブ木が枯れてしまったのでその木で織機を造らせ、毎日恋人を思い出しながら機を織っている若い娘の切々とした情景が伝わってくる。
なり山あやぐ
御船の親(うーにぬしゅー)
『宮古島旧記』に「野崎真佐利南の島より帰りし事」の記事で御船の親は船頭として琉球へ上がり、帰途逆風に遭い南のアフラ島に漂着、島人に殺害される。同行した水主の野崎は島の女と仲良くなり、何とか逃げ延びた。御船の親の遺言で首を宮古に持ち帰り墓を造った。その妻ブナコイは、この歌を歌い夫をしのんだと伝えられ、今でも哀調帯びた旋律で親しまれている。
来間ウスミガ小(がま)
下地に住む若い娘が、隣の男性と恋仲であったにもかかわらず、両親がどうしても来間島に嫁がせようとした。仕方なく嫁入りするも娘は両親のもとへは二度と帰らず島で幸せになろうと決意する。それから豊作が続き島は潤った。いまでも祭祀の中で「ユナウラセ」(豊かな世に)と歌い継がれている。
酒田川(さきだがあ) 下地橋積上(すむずばすつみあぎ)
沖縄製糖の北西を流れる川と橋にまつわる歌。「酒田川」は民話に登場する孝行息子の由来話で、崎田川の水は汲んでも尽きないおいしい酒のような水ということから今でも宴席の献杯の歌として親しまれている。下地橋は仲宗根豊見親時代に積み上げられ、当時の不便さから後の便利さを詠ったもの。
伊良部とうがに
宮古島と伊良部島の男女が恋仲になり、逢瀬のスリルを歌いながら、最後の7番で「松の葉はいいね、枯れて落ちても一緒にいられる。私たちもそうありたいものだ」と歌う。
最後は、漲水埠頭で「漲水の声合(はりみずのくいちゃー)」を、人頭税廃止の祝いを思い起こしながら全員で踊った。