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私見公論
2012年6月2日(土)23:32

緩衝帯ということ/伊志嶺 敏子

私見公論 32


 前回は、「関係性を育む空間」足元からの知恵発見について書いた。この蒸し暑い環境で、涼しく暮らすためには、いかに開いて涼風を引き入れるか、また、猛烈な台風から護るためには、どのように閉じるのか。開きつつ閉じるという相矛盾する難題を、私たちの先人たちは解決してきた。その築きあげた知恵の集積を引き継ぎ、現代の住まいづくりに生かしていきたい、と述べた。


 さて、いよいよ6月、台風の季節の始まり。2003年9月の超大型台風「マエミー」の凄まじさはまだ記憶に新しいのだが、最近のスーパーコンピューターの予測では、台風の大型化が伝えられている。ますます気になることだ。

 あの日、台風が通り過ぎるのを待ち、事務所の皆で設計した住宅を見廻った。無事を確かめた帰り路、以前から関心のあった二つの集落、久松と狩俣にも寄り道をした。両集落には、道の形に際立った特徴がある。曲がった道、蛇玉道(蛇が卵を飲み込んだような姿)、Y字、T字路、程よくずれた四辻。さらに狩俣は背後地に森があり、福木の屋敷林は緑深く、もう一方の久松の道はほとんど迷路状態をなしている。整然と直線で整備された幹線道路に倒れた電柱の驚くべき様子とは打って変わって、大した被害も無く、そこには揺るぎのない、大切なものがあると直感したのだった。

 このように古くからある集落には、集落環境そのものが、暴風を和らげ、涼風を招き入れるという装置となっている。言い替えると、台風時は安心安全、平時は緩やかな日常空間となっている、ということだ。その風景は、まさに集まって住む環境として在り、元来宮古島の住まいというものは、独立した一軒家だけで成り立つものではない、ということを教えている。しかし私たちはコンクリートという素材を手に入れ、集落から離れ野中の一軒家を造ったり、台風をガラス窓越しに見るという家に住むようになって、この集まって住む、ということの価値や多面的な意味を忘れてしまっているのかもしれない。また、その家が、涼しさを失った訳にも気付かないでいる。

 省エネの求められる時代にあって、どうすれば、安全で快適な家をつくることができるのか。この二つの集落の風景は、私たちにヒントを与えている。そこでの住まいは、福木の屋敷林、石垣で台風から護られ、敷地は道の形で護られ、その集合体でより安全な場所を作り、さらに海岸線は防風防潮林で島を囲み、海ではサンゴ礁が外海の大波から島を護っている。そういう外側からのあらゆる衝撃を緩め和らげる緩衝帯で幾重にも包み護っている。

 この緩衝帯の存在こそ、自然が与えた大切な財産で、私たちの命、暮らしを支えるかけがえのない最高の価値あるものだと考えている。自然災害が起きた時、緩衝帯が在ることで、人命、建造物等が護られた、という事例は枚挙にいとまがない。

 2004年のスマトラ沖大地震の際には、サンゴ礁やマングローブ林は、緩衝帯として集落を守ったと当時のニュースは伝えている。また、400年近く前に建てられたという京都の桂離宮も、近くを流れる桂川の洪水から守るため、桂離宮独特の竹垣の桂垣と穂垣で流れの勢いを弱め、流木などを止める緩衝帯を美しくデザインしている。このように用の美があり、決して要塞のような障壁ではない自然調和型を目指し、緩衝帯づくりを設計の基本としたい。

 敷地の広さは問わない。郊外の広い敷地は当然のこと、密集市街地であれ、集合住宅であれ、緩衝帯の考え方は実現可能である。

 100歳で現役の著名な医師、日野原重明先生は「ストレスを緩やかに受け止め、心身の過労を和めてくれる環境を緩衝帯(バッファー)という」と記されている。緩衝帯、居住環境そのものだけではなく、心身にもつながる、広く深く考えさせる言葉である。

 震災に遭われた東北の人々は、海岸林の緩衝帯を「失われて知る大きな役割」と伝えている。私たちはその貴い教訓を生かし、身近なあらゆる緩衝帯を失うことなく大切にしたい。

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