平和の尊さ語り継ぐ/戦後67年・慰霊の日
み霊に黙とう、冥福祈る/各地で追悼式・慰霊祭
太平洋戦争末期の沖縄戦で県民の約4分の1が犠牲になったとされる沖縄県は23日、戦後67年目の「慰霊の日」を迎えた。宮古島市と多良間村など県内各地では戦没者を追悼する慰霊祭が行われた。遺族や地域住民らが戦争の犠牲となった人たちの冥福を祈るとともに、恒久平和を強く願った。
平良地域遺族会(川満俊夫会長)主催の第58回戦没者追悼式は、平良字下里(馬場)の慰霊之塔で行われた。
正午の時報に合わせて608柱のみ霊に1分間の黙とうをささげた後、川満会長は「年月とともに遺族も高齢化し、国民の半数以上が戦争を知らない世代となった。それだけに戦争の悲惨さと平和の尊さを言い伝え、語り継がなければならない」と訴え。「戦争の記憶が薄れようとしている今日、日本がたどった歴史を振り返り、平和を思うことは極めて重要。戦争の惨禍を再び繰り返さないことを切に願う」と語った。
下地敏彦市長(代読・長濱政治副市長)は追悼のことばで「戦後67年を迎え、豊かな生活を享受している現在、あの忌まわしい戦争も人々の脳裏から次第に消え去ろうとしている」と指摘。その上で「慰霊の日に当たり、悲惨な戦争体験を風化させることなく、市民の英知と情熱を結集して、人類共通の願いである世界の恒久平和の実現に向けてまい進していく」と誓った。
市議会の平良隆議長、県宮古事務所の黒島師範所長は、二度と戦争の惨禍を繰り返すことのないよう平和への誓いを新たにするとともに、内外へ恒久平和を発信していく決意を示した。
川満会長によると、現在の遺族会会員は15人だが、高齢化が進み、ほとんどの人が慰霊祭に出席できない。「今後、慰霊之塔を守るのは遺児たちしかおらず管理が難しくなる。後々の事を考えれば役所が管理してほしい」と語った。