11歳で移住、4世代50人に/石垣島の平良正一さん(87歳)
伊原間地域の立役者/平良ファミリー
久松五勇士上陸の地として知られる石垣市伊原間で、平良西仲宗根生まれの平良正一さん(87)は子どもたちと民宿を営みながら地域活性の立役者として知られる。正一さんを筆頭に妻キヨさん(83)、次男の正吉さん(61)、妻八重子さん(59)、その息子の正樹さん(長男)と真樹さん(次男)が力を合わせて海上観光や海人(ウミンチュ)料理など、地の利を生かした観光事業に力を入れる。
正一さんは、当時の慣習で貧困から幼な子を漁村に売った「糸満売り」に遭った。11歳のころ祖母と弟の3人で石垣島に渡ったものの生活が苦しく兄弟2人は売られ漁労に明け暮れた。「真冬の凍てつく漁場で過酷な労働、目の前で幼い仲間が死んでいくのを何度も見た。つらい生活の中で、宮古古里を思い、何度泣いたか知れない」と話す。19歳で入隊した先は宮古島だった。終戦後、父を頼って再び平久保へ。
22歳でキヨさんと結婚、伊原間を拠
点にイムシャー(漁師)として独立した正一さん、二人で力を合わせ、半農半漁で必死に働いてきた。当時、伊原間の漁師たちは家族や親戚で10人ほどの一団を組み、寝泊まりしながら追い込み漁を行っていた。漁を終えると魚介類を街に運ぶ者と明日の漁に向け準備する者に分かれて作業が進められた。今のように保存する冷凍庫や氷がないころの話だ。
伊原間が豊漁地と言われたのは、天候に関わりなくほぼ毎日漁ができたからだ。それは、地形が半島の付け根にあって、東の浜が荒れると、西の浜に舟を移動してそこで漁をすることができたから。各地で行われる旧暦5月4日の「ユッカノヒー」(ハーリー=海神祭)も、舟を担いで約200㍍西の浜に渡ることから「フナクヤ(舟超屋)ハーリー」として知られてきた。
平良さん一家が営むその店の名はズバリ「たいらファミリー」。民宿を兼ねた食堂では、八重子さんがそばを中心とした郷土料理を作り、夫・正吉さんが観光客を海に案内する。
八重子さんは空手7段、星野支部の教室で児童たちを中心に指導する。趣味で始めた「漂着ゴミのリサイクル作品展」は95年から10年間続き、今では店の周辺に大小さまざまな作品が並び、観光客や道行く人たちを楽しませている。FM石垣サンサンラジオのパーソナリティーでもある。多彩な技能をもつ平良家の自慢の嫁だ。