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私見公論
2012年9月7日(金)21:52

ふるさと(5)/渡久山 春英

私見公論 46


 与那覇湾のラムサール条約認定は、宮古島の生まれたままの姿を未来へプレゼントできたことで、周辺の住民は安堵しているにちがいない。長濱政治副市長は「小さな島の干潟が世界に注目されて誇りだ」と談話を発表した(本紙5月11日)。実直な感想だと思う。しかし、島の価値はその大小に無関係であるべきだ。先人たちのおかげで、とりわけ久松住民のおかげで、宮古に宝が一つ増えたことをわすれてはならない。


 ドイツの社会学者マックス・ウェバー氏は、政治家になるための条件として情熱、責任感、将来の見通しをあげている。宮古の歴代首長たちや議員たちには与那覇湾の「見通し」はなかった。したがって、天から降って湧いた幸運である。

 小さな島でよかった。大きい島だと埋め立てられて、軍事基地になっていたかもしれない与那覇湾だ。アインシュタインは自然破壊を嘆いた。覆水盆に返らずである。松原信勝氏の本紙への投稿(8月9日)を拝読して、与那覇湾を淡水湖化する計画への反対運動が納得できた。危険な計画もあったものだ。久松住民にとって与那覇湾は生きるための畑と同じである。死活問題として水上パレードを実施、国の機関に訴えたことは、筆舌に尽くせぬ苦労があったにちがいない。下地市長は与那覇湾の再生と活用を県知事に要望したことは評価したい(本紙8月16日)。未来への自然の「ゆりかご」と思うのである。

 小さな島のラムサール条約認定によって、与那覇湾の「食物連鎖」の自然の鉄則は、大きな光明をもたらすであろう。そのためには、生物学・農学・林学・野鳥の会の知識人たちの英知を結集したいものだ。行政の手腕の見せ所だ。林業は海を育てる母というではないか。湾の周辺には森林を造成して野鳥の休息の場を提供したい。

 また、宮古はサシバにとって中継基地としてのふるさとであることを思えば、伊良部島の豊かな森林を目指してほしい。特に与那覇湾には、長旅の疲れを癒やす安眠の植林を期待したい。そうなれば「ちゅら島かぎ島」構想も自慢できよう。10月8日は寒露の入りだ。サシバの大群が押し寄せてくることを信じて、与那覇湾の隆盛を願うものである。今年も伊良部中学校の愛鳥教育にエールを送ろう。30年の伝統校である。

 小さな島には有形無形の文化財が豊富だ。上野の県指定文化財の棒振り。下地は川満大殿の池田矼。景勝地は東平安名崎。佐和田の七色の礁湖。佐良浜のサバウツガー。まだまだ尽きない。祭り行事も豊富だ。多良間の八月踊りはユネスコに登録近いと聞く。

 小さい島は民謡・芸能の宝庫だ。「歌の美しさは宮古のアヤグ」だと詠まれている。祝儀歌・先人を讃える歌・労働歌・豊年を祈願する歌・漁を楽しむ歌・立身・出世を祈願する歌・教訓歌・旅立ちの別れの歌・子守歌・建築の歌などに分類できよう。宮古高校の甲子園の夢実現の暁にはクイチャーで祝おう。宮古高校の吹奏楽部の市内パレード、アルプスでの宮古民謡の応援も見たいものだ。まだある。出羽大海の序二段昇進は宮古に朗報だ。15歳少年は厳しい修業・苦闘の毎日である。

 ところで、かの有名な勝海舟(幼名・麟太郎)は9歳のとき急所を犬に噛まれた。塾に行く路上だった。父小吉は自宅で昼寝をしていたが、麟太郎が知人の家に運ばれていることを知らされ、その家に飛んでいった。医者が来ていた。息子の患部を見た父は「命は助かるか」と尋ねると、医者に「むずかしい」と言われ、直ちに籠に乗せて自宅に帰り、外科医が傷口を縫うことになった。父はいきなり「刀」を抜いた。「泣くとたち切るぞ」とどなった。麟太郎は泣き声ひとつ出さなかった。父は70日間息子を抱いて寝た。この話は凡庸の父には眩しすぎる。宮古の親たち、なかんずく父親たちの子育ての教訓となれば幸いである。

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