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私見公論
2013年2月15日(金)23:00

地域の愛に包まれて大人になった僕の夢/濱元 雅浩

私見公論56

 

 僕の通った平一小で忘れられない学校行事に水泳教室がある。学校にプールの無かった時代にパイナガマビーチで行われる斬新な夏の恒例行事だった。学校からビーチまで約2㌔におよぶ歩道の整備されていない道を千名弱の児童が水着姿で闊歩する。ビーチでは即席インストラクターの父母チームがこれまた水着姿で待機中。「子どもと海」というハイリスクな任務に父母はボランティアで参加する、それも平日に。人数も人数なのでまともな水泳教室的プログラムはほとんどできず、大人の肩からジャンプして飛び込む技をメインに、ひたすら海で子どもと大人が遊ぶ貴重な時間だ。終了後にはパンとヨーグルトが配られ、児童は三三五五帰宅していく。このような、なんとも美しい光景の中で僕らは育った。


 水泳教室の幸福感は、学校という日常から飛び出して「平日に先生も含めた大人たちが海で遊んでくれてるぜ!」ということにあった。また、それと同様のワクワク感はシーシャガウガウにも存在した。仲間同士の遊びとしてだけでなく、子どもが主体的に地域行事に参加できる非日常的な体験に「ときめき」を覚えた。両行事に通底しているのは子供たちを見守る地域の大人の存在であり、「子は地域の宝」という社会の豊かな愛情だろう。そんなコミュニティーで育ち大人になった僕らは、子供たちに愛にあふれた振る舞いができているだろうか。僕自身ちょっと疑問だ。経済活動としての仕事だけを優先して、なんとなく忙しい風に振る舞い、地域社会の一員としての大切な役割を放棄してはいないだろうか。

 人間は経済的な豊かさだけでハッピーに暮らせるものではない。家族や友人との語らいのなかで、ボランティアなどの地域活動のなかで、また、文化や芸術、スポーツを通して暮らしの幸福感は増幅される。都市型の標準生活ではない、宮古島の風土に合った暮らしのリズム(ワーク・ライフ・バランス)を、僕らはもう一度問い直す必要はないだろうか。例えば、旧暦に沿って伝統的な祭事や行事が行われることの多い宮古島では、本当に新暦の平日という根拠だけで、伝統より仕事を優先させることが正しいのかどうかについて再考の余地があるように感じる。イケイケドンドンの時代が過ぎた今、自然の流れや地域の共助を中心に据えた働き方や暮らし方を見直す時期に来ているかもしれない。

 ワーク・ライフ・バランスの本義は「労働を削って趣味の時間を増やす」ことではなく、地域の構成員が「社会を回す」時間を増やすために「経済を回す」時間を減らしていくことにある。まずは地域の人々が、目のとどく手のとどく範囲にある暮らしや子育て、まちづくりに関われる時間を互いに融通しあい、水泳教室的なシーシャガウガウ的な緩やかなつながりを積極的に生みだすことで良い。これはなにも肩肘張って新しい運動に取り組むことではなく、あいさつ運動や声掛け運動といった古典的な手法を「多くの人が積極的に」実行するだけでも、十分につながりは深まり地域は輝きを放つだろう。

 僕らが子どもの頃は大人も子どもも漠然と「未来は明るい」と感じていたように思う。今よりも物質的にも金銭的にも豊かではなかっただろう。その反面、「夢」とか「ときめき」というキラキラしたものが社会にあふれていたのだろう。しかし、そんな空気感で育ち大人になった僕らは、大きな経済圏から離れた小さな島だからこそできる宮古島らしいキラキラとした生き方や暮らし方があるのではないかと考えず、大きな社会の閉塞感に飲み込まれて今を生きている。そこで、この連載をチャンスに宮古島らしい暮らしや子育て、まちづくりなどを通して持続可能な地域社会づくりの糸口を探るために、宮古島を構成する一員として地域社会と向き合い、親として子どもの育成環境に向き合い、生産人口の一人として島の経済と向き合いながら、僕なりの「楽しく豊かに暮らせる宮古島」をゼロベースで夢想してみたい。

 濱元 雅浩(はまもと・まさひろ) 1974年生まれ。宮古島市平良出身。織田デザイン専門学校卒業後、札幌の服飾店に就職。その後タウンカルチャー誌を創刊するなど約10年間札幌に暮らす。05年に帰郷し家業を継承。社団法人宮古青年会議所に入会し、多くの交流や体験を通して地域づくりに尽力。09年に同所理事長を務める。

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