「人生には多くの悲しみが起きる。その悲しみのもたらすもの」
日本親業協会親業インストラクター/福里 盛雄
1 人生に起きるさまざまな悲しみ
人は、生きていく過程で予期しない悲しみに遭遇します。一度も悲しみを味わうことなく人生を終えた人などいないはずです。その悲しみも自分の行いによって招いたものなら、それは仕方がないと甘んじて受け入れることもできるでしょうが、自分ではどうすることもできない運の定めだと諦めて、その悲しみを背負って生きていかなければならない場合もあります。
例えば、結婚式を目前にした花嫁の病死、生まれてくる子が次々と死亡し、その出生を喜んで期待していた夫婦の深い悲しみ、原因不明の病気で、自分の足では半歩も歩くこともできず、立つこともできずに一生を終える人の悲しみ、目の瞬きしかできず、体の他の機能を失った人の悲しみ、夢と希望に燃える若年者が、数個のガンに冒され、短い人生を悲しい涙の中で終えた例。数え切れないほどのさまざまな悲しみが、人生には存在することを、私たちは実際に体験し見たり聞いたりしています。今まで述べてきたように、人生の悲しみには、その発生原因によって大きく分けると、自分自身で招いた原因によって生ずる悲しみと、自分の責任によらない原因で発生する悲しみがあります。いずれの悲しみも、人に生きる力を失わせ、精神的に孤独感を与える点では共通性を有する。
2 人生の悲しみのもたらすもの
悲しみは、人に生きる力を失わせ、精神的な孤独を与え、ある場合は死の道を選択させる。反面、社会には悲しみによって人生の生き方を転換させ、悲しみを人生の幸せの生きる力にした人もいます。この人が、あの悲しみに遭遇しなかったら、今のこの人の人格、磨かれた品格を身につけることはできなかったかもしれない、と思われる人も多く存在します。人間関係が煩わしく他人との関わりを避けていたのに、人を恋しく慕うようになったりします。人は、悲しさの中では、今まで見えなかったのが見え、感じなかったことが感じられるようになります。例えば、人の心の苦しみがはっきりと見えたり、今まで自分が生きるために、多くの人々の助けと協力があったことに気がつきます。このように、人の悲しみは、その人に苦しみと孤独感を与えますが、自分の周囲の平凡で些細なことがいかに感謝すべきものであることか改めて理解するようになります。「怒りの子は滅びるが、悲しみの子は滅びない」という言葉が真実となるのです。
人は、自分の深い悲しみの中で培ったものを武器にして、他人を助ける働きに大きく貢献します。そうすることが、悲しみを意味あるものにすることになる。その悲しみを自分の悲しみだけに終わらせるなら、その悲しみは、何の意味もないものとなる。
両足を事故で切断し、義足になった人は、足のない人の悲しみと不便さを、誰よりも理解できます。ですから、その人の悲しみを、ちょっとでも少なくするために、もっとよい義足を考案しようと頑張り、今まで以上に立派な義足の製作に成功し、義足を必要とする人々を助けることができます。義足は義足の人が考案し製作した方が、もっとよいものができる可能性が高いのです。医薬品にしても、その医薬品によって治療される病気に、本人が苦しみ悲しんだか、身内の者をその病気で失った悲しみが、それを治療する医薬品の発明者である場合が多いような感じがします。このように、人の悲しみはその人にマイナスの働きをするだけはなく、その人の生き方によっては計り知れない有益な働きの原動力ともなります。ですから、私たちは、今の悲しみを自分に与えられた試練として受け入れ、後に来る大きな成長のために耐えることも必要だと考えます。